ひぐらしの記 山は緑、ウグイス鳴く 四月二十一日(水曜日)、起きて窓ガラスを覆うカーテンを開ければ、新緑まぶしい季節にある。これにわが起き待ちのウグイスが喜んで、澄明(ちょうめい)な鳴き声を高音(たかね)で奏でてくれる。小鳥の鳴き声の表現の定番には、囀(さえず)るという、もの... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 晩春の目覚め 四月二十日(火曜日)、今朝もまた寝坊助に陥り、慌てて起き出して来た。しかし、寝ぼけまなこではなく、瞼はすっきりと開いている。すでに覚悟を決めたせいなのか、文章執筆にたいする焦燥感は遠のいている。夜明けの陽射しは、昼日中とまがうほどに煌々と輝... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 寝坊助は、わが宝物 四月十九日(月曜日)、今朝もまた寝坊助。このところ常態化しいて、もはや焦燥感はない。いやむしろ、余裕の起き出しである。起き出しの心に変化をもたらしているのは、二度寝ができないことで、悶々としていた頃がよみがえるからである。そのときに比べれば... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 愚痴こぼし、諦念 「ひぐらしの記」において私は、常々愚痴こぼしが尽きない。わが生来の性癖につきまとう、確かな悪癖である。だから、防ぎようのない恥晒しと、自認するところである。恥晒し打ち止めの唯一の便法は、もとより文章書きの打ち止めである。ところが、これを実践... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 嗚呼、ああ…… 書くこともない、書きたいこともない。年を取るということは、こうもつらいものかと感じている。すなわち、自分が年を取れば優しい、身内、友人、知人、すべてが年を取る。それが身に染みて、心に沁みてつらいのである。 こんな下種(げす)な文章を書いた... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 情報化社会は「諸刃の剣」 現代人は「否応(いやおう)無し」に、情報の渦の中に生きている。情報とは善かれ悪しかれ、それを受け取る人の心理を揺るがすものである。そのため、情報を受け取る人は常に、要(い)りようあるいは不要の取捨選択能力を磨いておかなければならない。なぜな... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 暗雲 もちろん、戦雲下とはまったく比べようはない。しかし、現下の日本社会に垂れ込む暗雲は、少しはそれに似ていて、日本国民の気分は晴れず塞ぐばかりである。いや、気分だけでなく命にかかわる災難をもたらしている元凶は、日本社会における新型コロナウイルス... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 晩節における楽しみ 四月十二日(月曜日)。春なのに、一度目覚めると、悶々として、再び眠れない。私は、晩節のつらさ、むなしさに、身を置いている。寝床の中で私は、堂々めぐりのさ迷いに、とりつかれていた。とりとめなく浮かび、めぐる思いの多くは、箸にも棒にもかからない... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「いかが、お暮らしですか?」 四月十一日(日曜日)、のどかな朝ぼらけが訪れている。ところがこの頃は、昼間はともかく、朝夕は遅れてきた花冷えに見舞われている。そのため、わが気分は委縮している。 新型コロナウイルスは、四度目の勢いを増しつつある。収束の目途、いまだ立たずで... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 野山賛歌 四月十日(土曜日)、きのうに続いて寝坊助の起き出しをこうむり、心が焦っている。加えてきょうは、好物・春山菜の食べ過ぎによる、胃部不快感に見舞われている。好物を寵愛(ちょうあい)ならぬ溺愛(できあい)したための自業自得の春の祟(たた)りと言え... ひぐらしの記前田静良