四月二十日(火曜日)、今朝もまた寝坊助に陥り、慌てて起き出して来た。しかし、寝ぼけまなこではなく、瞼はすっきりと開いている。すでに覚悟を決めたせいなのか、文章執筆にたいする焦燥感は遠のいている。夜明けの陽射しは、昼日中とまがうほどに煌々と輝いている。山のウグイスは、朝っぱら高らかに美声を奏でている。自然界の恩恵にたっぷりと浴して、鎌倉地方はつつがなく一日の始動についている。いや、そう思うところである。
今朝の陽射しを見遣ればおそらく、日本列島くまなく同様に自然賛歌の夜明けであろう。これまた、そう思いたいところである。しかしながら、そうは問屋が卸さない。なぜなら、日本列島には新型コロナウイルスという、文字どおり魔界の魔物が再び勢いを増して、隅々に蔓延(はびこ)るさ中にある。だから正直に言えば、いつまで続くこの鬱陶しさである。
季節は晩春から初夏へとめぐっている。風薫るすなわち、薫風という季節用語が脳裏に浮かんでいる。季節に違(たが)わぬのどかな初夏の訪れを願っているけれど、実際のところ人間界は、季節の恩恵の後押しにすがり、まだまだ新型コロナウイルスとの闘いになりそうである。かえすがえす、残念無念である。
早春、初春、そして仲春を経て晩春にいたるこの春は、例年になくのどかな春日和に恵まれた。ところが人間心理は、必ずしも穏やかになれなかった。いやいや、新型コロナウイルスのせいで、日々恐々とするばかりだった。そしてこの先、なおその恐れ甚大である。そうであれば人間社会は精神一到、なおいっそう新型コロナウイルス退治の決意を固めどきである。万物の霊長と崇(あが)められる賛辞を、魔物に負けて捨て去ることはもったいない。いよいよ、人間の知恵の絞りどころである。
こんなケチな文章を走り書き、殴り書きしても、幸か不幸か気を揉むところはない。いや、間違いなく不幸である。