寝坊助は、わが宝物

 四月十九日(月曜日)、今朝もまた寝坊助。このところ常態化しいて、もはや焦燥感はない。いやむしろ、余裕の起き出しである。起き出しの心に変化をもたらしているのは、二度寝ができないことで、悶々としていた頃がよみがえるからである。そのときに比べれば、どんなに気分の良い目覚めであろうか。起き出しが遅れて、文章の執筆にしわ寄せがくれば、休めばいいことだと、開き直りの心の救いがある。確かに寝坊助は、平平凡凡こそ、至上の幸いの実践とも言えるところがある。
 先日の寝坊助にあたり私は、文章の執筆にたいする焦燥感を露わにして、嘆き文を書いて短く打ち止めにした。するとこれにたいしたちまち、大沢さまから「前田さん。寝坊助、また好し」という、激励文をを賜ったのである。これ以来私は、寝坊助を歓迎こそすれ、もう嘆くまいと心に決めた。「天佑神助」。捨てる神あれば拾う神あり。
 今朝の起き出しは、六時二十五分頃。現在のデジタル時刻は、6:38。晩春を超えて、早や初夏を思わすさわやかな朝日が煌々と地上にふりそそいでいる。尻切れトンボなどには委細構わず私は、これで文章を結んで、階下の台所へ急ぐこととする。確かに、こんな凡事が長く続けば、案外至上の幸せと言うべきであろう。なぜなら、きわめて気分良好の朝の訪れに、私は嵌(は)まっている。