ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

敬老の日

 9月には三連休が二度ある。一度目はきょう、「敬老の日」(9月16日・月曜日、祝日)にかかわる三連休である。そして一つは、「秋分の日」(9月22日・日曜日、祝日)にともなう、「振替休日」(9月23日・月曜日)を含む三連休である。自営業や私のように職業(勤務)のない者にはともかく、勤務ある人にとってはうれしい月と言えそうである。もとより、わが勤務時代を顧みての実相である。
 今さらながら敬老の日を見出し語にして、電子辞書を開いた。「敬老の日」(国民の休日。1966年、従来「老人の日」だった9月15日を名称を変えて祝日としたもの。2003年より9月の第3月曜日)。次には、敬老の日にちなむインターネト上の記事を読み漁った。すると、敬老に値する明確な年齢の基準はなく、おおむね65歳あたりからだろうという。敬老の日自体の趣旨とて、あやふやであいまいである。一つだけ趣旨と言えるものでは、「長年社会に尽くしてきた人を敬愛し、長寿を祝するもの」という、記述に出合ったにすぎない。結局、わが身に照らし私は、自分祝いにこんな感慨を抱いている。すなわちそれは、私84歳、妻81歳、良くも共に80の年齢を超えたものだという思いである。まさしく長寿であり、共にみずからに感謝し、寿(ことほ)いでかまわないことであろう。
 もとより、わが身体は両親譲りである。すると、先天的欠陥と言えるものでは、近眼、難聴、虫歯質、口内炎質くらいで、病体質は免れている。このことでは両親への敬愛はつのるばかりである。欲を言えば身体的には、もっと面(顔立ち)良く生まれればよかった。頭脳的には、もっと冴えて生まれればよかったと、思うくらいである。しかしながらこんなことは、もとより叶わぬ欲張りである。だから、敬老の日にあっての私は、素直に自分自身の長寿を祝し、そして妻の長寿を祝し、互いの亡き親にたいし敬愛心をつのらせている。敬老の日は、このことで十分であろう。
 一人っ子(娘)から、長寿の祝いが届くあてどはない。そんなことより私は、闘病中(難病)の娘の長寿を願っている。そして私と妻は共に、娘にたいし、すまないと思うばかりである。

郷愁渦巻く、柿の実千切り

9月15日(日曜日)。寝坊助を被り、時間にせっつかれて、文章と言えるものは書けない。だから、どこで切れるか? 書き殴りである。いや、あてどのない文章は、書かないほうがいいのかもしれない。満天、空中、そして地上に、朝日がいっぱい降りそそぐ、秋のさわやかな夜明けが訪れている。心中には郷愁がワクワク、溢れ出てくる。ふるさとの山河が恵む郷愁には、「相良山と内田川」が双璧を成している。しかし、これらに負けず劣らずほかにも、芋ずる式にあまた浮かんでくる。さらには、四季折々の田園風景もこれらに引けを取らない。
 季節を限れば中秋から晩秋にかけての、柿の実の生る風景がわが郷愁に拍車をかけてくる。わがや(生家)の庭先には、のぼり切れないほど高く聳えた柿の木があった。このほか、わが家の裏を流れている内田川の河川敷には、川流れの種から育った柿の木が三本あった。自然生えのこれらもすくすく育ち、秋には実を着けて、共にわが家の食用に化けた。犬、猫、小鳥など用無しだったわが家族には、これらの柿の木にはまるで、愛玩動物にも似た愛情があった。私の場合、柿の木、柿の実への郷愁は、人一倍を成している。その証しには宅地を買い求めると、狭小な宅地には大きくなる柿の木はそぐわないと知りながら、端っこに一本の柿の木を植えてしまったのである。
 この決断はやはり、身の程知らずの誤りだったと、現在は大きな悔いごとへ変わっている。悔いはレンガ積みのブロックを崩れ落としされそうで、ハラハラのしどうしを強いられていることである。区画ぎりぎりのところに植えた柿の木は、道路のほうへ食(は)み出ている。そのため、もう切ってしまおうと、ここ一、二年には決断の日が迫っていた。ところが柿の木は、まるでそれを見越して切られないようにすねでもするかのように、この秋にはこれまでで一番多くの実を生らしたのである。
 きのうは、妻と協働の柿千切りの日だった。妻は道路に佇み、雨傘を広く裏返し落ちてくるのを待った。私は庭中に立ち、長い柄の剪定棒で切り落した。妻、いや雨傘は、そのたびに落ちてくる実を見事にキャッチした。雨傘から外れて、舗装道路に汚くひっしゃげる実は一つもなかった。ふるさと、すなわちわが家の庭先の柿の実千切りは、面影が髣髴する父と母の協働作業だった。柿の実千切りは、父と母の姿を浮かべて、尽きない郷愁へなり変わる。
 きのうは、胸の透く秋の日の一日だった。そして、少しだけきょうへ残している。日本晴れの下、光る柿の実を千切ってしまうのは切ない。だから青い実の一つだけは残すつもりである。ところが、それを食べるのは、私に先を越された山に棲みつく台湾リスである。たった一つだけだから、惜しくはない。

秋の夜明け

明後日の「敬老の日」(9月16日・月曜日)へ繋がる、三連休の初日の夜明けを迎えている(9月14日・土曜日)。大空は見渡すかぎり遮(さえぎ)る雲のまったくない、秋天高い日本晴れにある。自然界の恵みこれに勝るものはないと思うほどに、胸の透くパノラマ模様である。おのずからわが気鬱症状は去って、なお明るく一変している。
 私は一行でも書かないと、(文章は、もう沙汰止みになる)という思いで、パソコンを起ち上げた。ところがこの思いは、しばし夜明けの空を眺めていると、つれてしだいに遠のいた。わが気分直しにあってはカンフル剤と思うほどに、夜明けの大空が恵んだ効果覿面の処方箋だった。気分すぐれず休むつもりだったけれど、大空の恵みに遭遇し、一行を免れてここまで書いている。しかしきょうは、ここまでのこの文章でこの先は止めても、十分なのかもしれない。なぜなら、秋の夜明けの気分を十分に味わっている。パソコンを起ち上げなければ、その気分を書くことはできなかったからである。もとより、文章とは言えず恥を晒しても、沙汰止みの寸止めにはなりそうである。
 日本晴れは朝日を帯びて、満天をいっそう大海原模様に強めている。

秋の日暮らし

9月は早や半ばに差し掛かっている(9月13日・金曜日)。9月に入り懸念していた地震はこれまで無く、一方、台風は13号を数えるけれど、幸いにもはるか彼方でさ迷っている。確かに、残暑は連日厳しいもののこれまでのところ秋は、それでも面目(めんぼく)に適(かな)う好季節を恵んでいる。ところが私は、夏風邪のぶり返しを被り気分が憂鬱になり、さらには日常生活における雑念を払いきれず心象が曇り、挙句、文章は沙汰止みを続けている。だから、こんなみすぼらしい文章を書いてでも、再始動にありつきたいと願っている。ゆえに、きょうはここまで。恥を晒した。だけど、生きている証しにはなる。秋天高い、日本晴れの夜明けである。

散々な一日

きのうの昼間こそ厳しい残暑に見舞われたものの残暑の期間は短く一転直下、夏を遠のけて秋の気候へ様変わっている。その証しに朝夕の心地良さは格別である。きょう(9月6日・金曜日)の夜明けは曇天だけれど、心地良い秋に朝が訪れている。ところが、起き立てのわが心象にはきのうの悔いごとが消え去らず、ちょっぴり残っている。
 きのうの私は、いつもどおりに完結編の文章を書いた。私の場合、どんな駄文であっても書き終えたときの気分は、さわやかな日本晴れである。もちろん、呻吟して書き終えるせいである。ところが、書き終えてのちに掲示板を覗くと、まるで気狂いで書いたかのような、へんてこりんの文章になっていた。どういうわけか、へまをやらかしていたのである。なぜそうなったのか、今なおわからずじまいである。挙句、わが指先の不器用のせいであろうと悔いを残して観念している。
 わが文章書きの習性は、ワードで書いた文章を保存し、それをコピーして掲示板へ移している。しかし、きのうにかぎりこの過程を抜いて直接、所定のところに書いて投稿ボタンを押した。ところが、掲示板上の文章はちぐはぐなものだった。私は慌てふためいて、「削除」を依頼した。いつもであればワードに文章が残っているから再投稿を試みる。だけど、きのうの文章は直接書いたものゆえに保存がきかず、再投稿は叶わずじまいだった。きょうはこんなくだらないことを書いて、書き止めにするものである。
 きのうのわが私生活には、二つのへまをやっていた。一つは長くガス湯の垂れ流しである。気づいたのは、東京ガスからの電話で鳴りっぱなしの警告メッセージによるものである。一つは電源を切ったはずの、エアコンの点けっぱなしである。きのうは散々な日だった。わが注意力は、一足飛びに認知症へ傾いている。
 さわやかな季節・秋の訪れにあって、私は素直に喜べない心境にある。

のどかな秋の夜明け

9月4日(水曜日)。のどかに晴れた秋の夜明けにある。きのうの天候までは台風10号の影響をこうむり、愚図ついた雨模様が続いた。だから、きょうの夜明けののどかな晴れは、ようやくそんな状態を脱して、ようやく季節(秋)本来の気候になりそうである。やはり自然界の恵みは、人間界にとっては甚大である。ところが私の場合は、なおしくじりが続いている。きのうあたりから収まりを願っていた夏風邪は、願い叶わず快方へは向かわず、ぶり返しをこうむっている。そして、風邪薬の服用が続いているせいで、寝起きが遅れてしまった。そのため切迫時間をこうむり、この先の文章は書けず、書き止めを食らっている。現在は、のどかな秋の夜明けにすがり、鬱気分の直しを願っている。

余生が付き纏う、わが日暮らし

夏の終わりかけにひいて、こじらせていた夏風邪はようやく収まりかけている。それでもまだ完治ではなく、ぶり返しに慄(おのの)いている。ほぼ例年繰り返す夏風邪は私の場合、明確な鼻炎症状である。ゆえにこれに見舞われと気分は、たちまち憂鬱状態になる。挙句、物憂くすべてのことに気力が殺がれてくる。せっかくの秋・好季節にあって私は、長引くことを危ぶんでいた。しかし、幸いにもきょうあるいはあすあたりから、快方へ向かうかな? と、望みをかけている。
 きのうの文章には、こんな表題を付した。すなわちそれは、「秋、さわやかな始動」である。夜明けに感じたことをそのまま表題にしたのである。ところが、この表現に背くことなくきのうは、夜明けにかぎらずほぼ一日じゅう、さわやかな秋の気候に恵まれた。夏風邪症状はかなり出足を留めたけれど、それでも私は、委細構わず普段の大船(鎌倉市)の街へ、買い物に出かけた。買い物ルートにしたがって先ずは、「大船市場」へ足を運んだ。すると、売り場はすでに「実りの秋」の先駆け(序章)状態を成していた。実際には「果物の秋」、旺盛状態を成していた。葡萄、梨、桃、そしてほかにもいろんな果実、さらには早出しの栗、柿、蜜柑さえ並んでいた。僅かに夏の名残をとどめていたのは、売り場を狭めて輪切りの西瓜が数個、置かれていた。これらを眺めて私は、こう決意した。(ことしは、実りの秋をたっぷりと愉しもう)。つくづく、バカな私である。なぜなら、こんなことが脳裏を過(よぎ)ったのは、(あと何年か………)と、めぐり来る秋を浮かべていたからである。
 わが日暮らしには常に、余生の年数が付き纏っている。きのう(9月2日・月曜日)の一幕である。きょうの夜明けは小雨模様である。

秋、さわやかに始動

 きのうの「防災の日」(9月1日・日曜日)にあっては、このところの台風10号のもたらした各地の大雨はほぼ収まり、さらには懸念していた大きな地震はなく過ぎた。そして、きょう(9月2日・月曜日)の夜明けの空には、まるでこの間の長い異常状態を償うかのように、見渡すかぎりに秋天高く日本晴れが広がっている。いよいよきょうあたりから好季節に違わぬ、秋本来の気象になりそうである。これにつれて地上の人間界の営みは、秋本来の恵みを得て、日々豊かに落ち着くであろう。
 気に病むところはただ一点、今月に行われる自民党の総裁選および立憲民主党の代表選における、疑心暗鬼を伴う虚々実々の騒動である。しかし、気にすることはない、もとより私には無縁の空騒ぎにすぎない。だから、そんなことはそっちのけにして私は、きょうあたりから始まりそうな、秋本来の季節の恵みをたっぷりと、愉しみたいと願っている。
 秋の朝日は、どうしてこうもさわやかに明るく輝くのであろう。

9月1日(日曜日)

 きょうから9月入り。久しぶりにぐっすり眠れた。そのせいで執筆時間の切迫をこうむりこの先、文章は書けない。それでも眠れたことで、気分は安んじている。ゆえに、文章は休んでも悔いはない。きょうは本格的な台風シーズン入りと、かつての「関東大震災」にかかわる「防災の日」である。だからもちろん、気を緩めることはできない。しかしながら一方、人間界は様々な「冠の秋」を迎えている。それを恵む夜明けの気候は、一足飛びに肌身に優しく、すっかり凌ぎやすくなっている。確かに、自然界の猛威は気になるけれど、半面人間界は、秋の心地良い気候のもたらす恵みに酔いしれることとなる。
 わが身の場合先ずは、「食欲の秋」到来である。きょうにかぎれば、道路が乾きしだい大雨が残した落ち葉の散乱を掃き清めることとなる。この作業が終われば、いよいよ夏の季節とはおさらばである。そしてこの後は、秋の季節におけるわが家の日暮らしの安寧を願っている。だけど、どうなることやら……。
 ウグイスの声もセミの声もおさらばで、代わりに草場で集(すだ)く虫(秋虫)の声の合唱が旺盛となる。

途中消え去った、台風10号にことよせて

 8月31日(土曜日)。鉛色の曇天だけれど、雨・風まったく無い夜明けが訪れている。幸いにも台風10号は、鎌倉地方までには届かず、接近途中のどこかで消えてなくなった。日本列島にあって国民は、大型台風と予報されて、一週間を超えて恐怖に慄(おのの)いていた。テレビニュースは、防災グッズの売れ行きぐあいを盛んに報じていた。街頭インタビューにあっては、私はマイクを向けられた人達の台風にたいする備え、すなわち身構えや心構えを感じた。私もちょっぴり備えて、風に吹き飛ばされそうな鉢物などは物置に仕舞い込んだ。全国的には被害を被った人達がかなりいた。だから、台風の恐ろしさは十分に感じた。
 しかし一方、予報の騒々しさからすれば台風10号は、いくらか空振りに思えた。台風情報などに絡む防災は、警告や準備を促すことを建前とすれば、いくらか大袈裟になることは妥当であり、仕方のないところでもあろう。案外、拍子抜けや空振りこそ喜ぶべきものなのかもしれない。私も、そうとはわかっちゃいるけれど、それでもやはりかなり騒ぎすぎた感は否めない。
 確かに防災は、事前や途中に騒ぎすぎるほどが是(ぜ)なのであろう。なぜなら、これだけ予報と実際に狂いが生じても気象庁は、謝りあるいは弁解の記者会見をするつもりはなさそうである。もちろんこのことは、私の言い分ではなく、いろんな防災に明け暮れて、肩透かしを食らった人達の恨みつらみを鑑みてのわが代弁である。
 雨・風去っても日本晴れの夜明けではないけれど、しかし昼間には台風一過を擬(ぎ)して、日本晴れになるかもしれない。こんな文章書いた私は、つくづく天邪鬼(あまのじゃく)である。