ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

きょうは「ごちゃまぜ文章」を詫びる

 十一月二十一日(木曜日)。生きて目覚めて、起き出している。わが心中にはふるさと言葉で言えば「だごじゅる」のごとく、いろんな思いが渦巻いている。「だごじゅる」とはさしずめ、日本社会における普遍的なレシピ(献立)に置き換えれば、「すいとん」と言えるものかもしれない。もちろん「だごじゅる」は、小麦粉を練った団子にごちゃまぜの野菜の多さからすれば、ハイカラなスープにはなりきれない代物である。戦時中(わが五歳の頃)はもとより、戦後しばらくは、矢鱈とわが家の食卓にのぼり続けていた。そのせいでトラウマ(精神的外傷)をこうむり、私はスープさえ好むレシピの埒外(らちがい)にある。ところが、今や「だごじゅる」は人気のある食べ物のようである。世の中の健康志向に合って、救われているのであろうか。しかし、不断郷愁まみれの私だけれど、今でも「だごじゅる」だけは、反吐(へど)が出るほどに食べる気はしない。
 渦巻いているいろんな思いにあっては、図らずものっけから最も変なことを書いてしまった。どうしてなのか? はわからない。いよいよ、ごちゃまぜ文章の本番に入る。定時近くの起き出しだが夜長の季節にあっては、外気はいまだ真っ暗闇である。ゆえに夜明けは未だ遠く、空模様を知ることはできない。きのうの目覚めにあっては、冬将軍に打ちのめされて起き出しを渋り、そのまま寝床に寝そべり続けていた。
 生来、私は寒気には弱虫である。きのうは、その証しをこうむったのである。実際には起き出して、パソコンへ向かう気力を殺がれていた。挙句、枕元に置くスマホを手にとり、継続を断たないだけの思いで、文章を書き始めた。しかし案の定、これまた生来不器用の指先が駄々をこねて、文章は尻切れトンボのままに頓挫した。これに懲りて現在は、完全冬防寒重装備に身を包(くる)んでいる。それは自然界の仕業に敗けまいと、人工の暖とり装置である。人間の知恵は大(たい)したものであり、大(たい)して金要らずの着衣にあずかっている。
 知恵ある科学者は夏の間には特に、地球の温暖化傾向へ警鐘を鳴らし続けている。ところがへそ曲がりの私は、このことには常に下種(げす)の勘繰りを続けている。なぜなら、私には冬の間の寒気が身に堪えるからである。同時に私は、本当に地球は温暖化傾向にあるのであろうかという、疑心暗鬼に囚われるのである。できれば科学者こぞって、冬の時期にこそ地球の温暖化傾向へのデータや証しを添えて、警鐘を鳴らしてほしいものである。なぜなら、そうであれば地球温暖化傾向への確信が持てるからである。
 主に夏の間だけの警鐘では、なんだか私には、嘘っぱちに思えるところがある。挙句、地球は温暖化および寒冷化共に傾向を深めているという警鐘であれば、私にも然(さ)もありなんと思うところがある。バカ丸出しを曝(さら)けてまで、こう言いたくなるほどのきのうから続くきょうの寒さである。
 次の思いはこうである。わが命(八十四歳)は疾(と)うに、賞味期限はおろか、消費期限さえも切れている。きのうは、テレビで馴染んでいた二人の訃報が伝えられたのである。一人は、大相撲界における元横綱・北の富士の訃報だった(享年八十二歳)。そして一人は、俳優・火野正平さんの訃報だった(享年七十五歳)。これらにかかわるしんがりの思いは、わが八十四歳にかかわるものであり、わが命の絶え、おのずから「ひぐらしの記」の潮時を覚悟するものだった。もはやわが命短し、寒気に耐えるのもゴールテープ間近にある。
 こんな実のないだらだら文章は、見ただけで読んでくださる人はいないはずである。そう思わないと、書けない文章でもある。スマホ書きは懲りた。パソコンだと指先はちょっぴりスムースに動いて、ようやく夜明け頃にある。雨の夜明けは、冬特有に寒気が酷(ひど)い冷雨(ひさめ)である。

冬将軍に打ちのめされている

 11月20日(水曜日)、3時40分。頻尿によるトイレ起きを繰り返し、寝たきはまったくしない。起きれば寒気にぶるぶる震えて、寝床入りを繰り返している。不甲斐なく、情けなく、こんな決意をしている。それは寒気に打ちのめされて、わが弱虫のせいである。きょうは寒くて、身体現象の起き出しは仕方ないけれど、寒ざらしのパソコン部屋に、長居は無用と决めこんだ。パソコンを立ち上げなければ文章は書けない。寒気に負けて、休むことに決めた。ゆえに、起き出すことなく、体温で温めた寝床に寝そべっている。ところが、文明の利器スマホが枕元にある。電子辞書もある。よし、試しにスマホで書いてみよう。間抜け、愚か者の不甲斐ない決意である。しかし、指先不器用のせいで、途切れ途切れに、だらだらと書いても、文章にはなり得ない。ゆえに、お試し文はここで書き止めである。夜長にあって、寝つきにありつけず、パソコン部屋にも向かう気のない私は、根っからの弱虫である。
 気狂いの追記
 短い文章ながら、誤字と抜け字があり、やはりスマホでは文章にならず、もうこりごりです。詫びて謝ります。
 寝床から起き出しみると、雨の夜明けにある。この世では寒気や頻尿で寝入りありつけないけれど、あの世では永遠に眠れかもしれない。この世は恨めしく、あの世はさぞかし極楽、パラダイスであろう。だけど、あの世へ急ぐことはない。永遠の眠りこけには、何らの楽しみもなさそうである。わが好きな柿は、鱈腹食べ頃、食べ盛りである。

冬将軍、到来

 11月19日(火曜日)。ほぼ定時の起き出しにある。ただ、夜長ゆえに未だ暗闇である。外気模様には雨なく、強風が戸袋の雨戸の音を強く鳴らしている。きのうは一日じゅう強風が吹き荒れて寒く、道路はわが名づけの「枯葉川」状態に晒されていた。現在はきのうの強風を引き連れて、寒気は弥増(いやま)している。いよいよ、わが恐れていた冬将軍のお出ましである。この先、いっとき冬将軍を懲らしめてくれるのは、自然界にあっては小春日和である。一方、人工的にはこの先の私は、例年どおりに冬防寒重装備に身を包むこととなる。いまだ冬将軍は先駆けにすぎないのに、私はもう退散を願っている。しかしながら半面、冬が鉄棒競技における大車輪のごとく速回りで去れば痛しかゆし、わが余命もまた速回りで縮(ちぢ)み萎(しぼ)んでゆく。欲ボケの私は、共に真っ平御免蒙りたい思いにある。
 さて、昨夜の就寝は予告どおりに、ほぼ12時近くだった。この因を為したのは、これまた予告の「WBC12」(野球の国際試合)のテレビ観戦によるものであった。日本の代表チーム・侍ジャパン対ドミニカ代表チームの試合結果は、11対3で侍ジャパンが圧勝した。これにより侍ジャパンは、5連勝の無傷をたずさえて、次のステップ・スーパーラウンドへ進むことになる。きのうの文章では「WBC12」のことは付けたしと書いたけれど、実際にはそうとはならず、予定していた本題を撥ね退けて、詳しく書いてしまった。ゆえに幸運にもきょうは、きのう書き残したことだけを付け足すことで済むことになる。
 第一ラウンド・オープニングラウンドにおけるA・Bブロックの上位1位と2位、つごう4チームはこうなり(ベネズエラとアメリカ、そして日本と台湾)、第二ラウンド・スーパーラウンドへ進むこととなる(球場はすべて東京ドーム)。試合形式は、4チームの総当たり戦である。その日程は、今週の週末にかけてである(11月21日(木曜日)~23日(土曜日)である。そしてきょうの付け足しはこのことである。すなわち、24日(日曜日)には総当たり戦の結果を経て、優勝決定戦および3位決定戦が行われる。またまた、きのうの文章の二番煎じのごとくに書いてしまった。平に詫びるところである。
 しかしこの先は、きのうの文章とはいくらか代り映えするところがある。すなわちそれは、きのうこうむった浅い眠りを免れて、なぜか昨夜の睡眠にあっては熟睡に落ちていたことである。まさしく、棚から牡丹餅のごとくに、幸運にありつけていたのである。この幸運は、このところ続いていた浅い眠りの罪作りの償い、罪滅ぼしだったようである。ありがたくも、起き立ての気分に憂いはなく、朦朧頭や眠気眼もない。だから私は、久しぶりに気分爽快な夜明けを迎えている。
 眺める大空は、鉛色の冬空である。寒気は、凍えるほどに身に沁みている。だけど、耐えるよりしかたない。いや、耐えられそうだ。なぜなら、わがモチベーション(意識、意欲)は上がっている。

浅い眠り、まだ続きそうである

 11月18日(月曜日)。いまだ夜明け前の起き出しにあり、きょうの天気模様を知ることはできない。雨戸を閉めていない、前面の窓ガラスを通して見ている外気はいまだ暗闇であり、それゆえ頭上の蛍光灯が明かりを照らし、ポツリと写っている。夜長の静寂(しじま)にあって、ときおり戸袋に置く雨戸を叩く風の音が小さく響いている。響きからすれば雨まじりには思えず、風単独の音のようである。
 昨夜は、このところで最も遅い就寝(十二時過ぎあたり)をこうむった。それは予告どおりのWBC(野球の国際試合)のテレビ観戦のせいだった。昨夜の試合は四戦目になる、日本代表チーム・侍ジャパン対キューバ代表チームだった。試合結果は、7対6で侍ジャパンが辛勝した(台湾・天母球場)。侍ジャパンは4連勝を果たして、残る一試合はきょうのドミニカ代表チームだけである。ところが侍ジャパンは、この試合の勝敗にかかわらず、きのうの試合でBチーム1位となり、次のステージ・スーパーラウンドへの進出を決めた。
 スーパーラウンドは戦う球場を「東京ドーム」一か所にして、オープニングラウンドにおけるAグループとBグループにあって、それぞれ1位と2位のチームの4チームが、再び総当たり戦を行う。今回のWBCにあっては、A・B二つのグループ(各6チーム構成)分けがあり、計12チームが参加している。最初のグループごとの総当たり戦はオープニングラウンドと呼ばれ、次の総当たり戦はスーパーラウンドと呼ばれている。Aグループの1位にはベネズエラ、2位にはアメリカが決まり、Bグループの1位には日本、2位には台湾が決まり、4チーム(4か国)がスーパーラウンドへの進出を決めている。こののち、スーパーラウンドの日程は、11月21日(木曜日)~23日(土曜日)となっている。
 もとより、きょうの文章にあっては、こんなことを長々と書くつもりはなかった。しかし、せっかくだから付け足しに書いただけである。だからと言って、この文章の本題はない。強いて言えば、WBCのテレビ観戦により、浅い眠りが続いていることくらいである。しかし、私にとって浅い眠りは、バカにできないもので、書きようによっては本題を成すものである。だけど、こんなことで文章が無駄に、長くなるのはわが本意ではない。ゆえにここで、結び文とするものである。
 おやおや、夜明けてみれば強風が吹いている。大空は青い日本晴れではなく、くすんだ鉛色である。

わが愚痴こぼしを打ち壊した、女神の恵み

 十一月十七日(日曜日)。ほぼ定時あたりの、目覚めと起き出しにある。しかし、夜長の季節にあってはいまだ、夜明けの空を見ることはできず、部屋内外共に真夜中の佇まいにある。私の場合、朝の起き出し時刻には、五時あたりを定刻と決めている。現役時代にあっては、片道二時間余を有する長距離通勤を強いられていたこともあり、しかたなく五時あたりを起き出しの定刻と決めていた。しかし、六十歳定年を機に、おのずからこの起き出し時刻は免れるはずだった。ところが、六十(歳)の手習い文を書いたり、やがては「ひぐらしの記」を書き始めると、朝の寝起きに書くことが習性となり、寝起きの起き出しの時刻は、これまたしかたなくほぼ振出し(かつての定時)に戻っている。
 きょうは現役時代であればうれしくて、涎が垂れそうな日曜日である。ところが、こんなことを心中に浮かべている。すなわちそれは、自由時間を得ている定年後の起き出しにあっても、なんだかいっそう早起きに悪化しているように思えている。だからと言って私は、「ひぐらしの記」の執筆を悪の根源にはしたくない。なぜなら、ひぐらしの記は、定年後にあって無駄に有り余る時間を十分すぎるほど有為に変えてくれているからである。
 さて、昨夜の就寝時刻にあっては、ほぼ予告どおり十一時を過ぎていた。二晩続けての極めて遅い就寝だった。この主因を為したのは、予告していたこのせいだった。すなわちそれは、現在開催中の「WBC12」(野球の国際試合)のテレビ観戦ゆえである。昨夜の試合は、日本の代表チーム・侍ジャパン対台湾代表チーム戦だった。球場は台湾チームにとっては、戦いやすいホームとなる「台北ドーム」だった。半面、侍ジャパンにとっては、戦いにくいアウエー(遠征試合)となっていた。試合結果は、3対1で侍ジャパンが勝利した。しかしながら台湾チームはやはり、難敵の最右翼に位置していた。台湾チームを破り侍ジャパンは、オーストラリア戦、続く韓国戦、そして前夜の台湾戦と続いて、三連勝を収めている。残るは、キューバ代表チームとドミニカ代表チームとの戦いである。しかし、きょうの文章にあってこんなことは付け足しにすぎなくて、要は二日続けて遅い就寝を被ったことを書きたかったのである。
 韓国戦のテレビ観戦ののちの就寝時刻は遅かった。それにもかかわらず早い起き出しを被り、その間は浅い眠りに終始した。案の定、きのうは昼寝に憑(と)りつかれた。昨夜の就寝時刻、そしてきょうの寝起きの時刻も、前日と似たり寄ったりだった。ところが、寝起きの気分は大違いで眠気なく、つれて憂鬱気分も免れている。いま心中に浮かんでいる、その種明かしをすればこうである。きのう、昼寝から目覚めると私は、両耳には補聴器を掛けたままに、片耳(左耳)にスマホをあて、久しぶりに大沢さまのご自宅の固定電話に呼び鈴を鳴らした。幸いにも大沢さまはご在宅で、すぐに大沢さまの明るいお声がスマホ(受話器)に充満した。すぐさに、補聴器のありがたさが身に沁みた。こののちは互いに、澱(よど)みなく長話(電話による会話)が続いた。電話を終えると、昼寝ではいまだ果たせていなかった気分は、たちまちすっきりしたのである。
 会話の中身はほぼ一方的に、わが不断の愚痴こぼしだった。すると大沢さまは、まるで少女時代のような明るいお声で、わが愚痴こぼしのすべてを拾い上げてくださり、熨斗(のし)を付けて返してくださったのである。すなわち、わが愚痴こぼしを打ち叩く、激励のお言葉をさずかったのである。この激励と厚遇にありついて、またそれをきのうからきょうへひきついで、今朝の寝起きにあっては、眠気および憂鬱気分共になく、全天候型に晴れ渡っている。
 ようやく夜明けが訪れている。雨の無い夜明けである。しかしながら夜明け模様は、大沢さまからさずかった全天候型には大負けで、今にも雨が降りそうである。よせばいいのに、愚痴がこぼれそうである。大沢さま、文章は難(むつか)しくて、もうやめてもいいでしょうか。

嗚呼! 恨めしや「八十四歳」

 十一月十六日(土曜日)。世間の人にあってはほぼ定時、いやまだ早く、土曜日にあってはいまだ、白河夜船を貪っている人もあろうか。私の場合はかなり遅い目覚めと起き出しである。ところが睡眠時間は浅く、起き立ての気分は憂鬱状態にある。このせいでやっとこさ、文章を書き始めている。だから、どこで途切れるか、あるいはどこまで続くかなど、みずからのことながら知る由ない。こんな気分ではもとより、きょうの文章書きは慎むべきだったのかもしれない。冒頭にあって、恥じて深く詫びるものである。
 八十四歳、このわが年齢は、いっときだって脳裏から離れることはない。確かに、いまだに生存の証しとはいえ、つらい仕打ちである。実際には「生きる屍(しかばね)」状態にある。卑近なところでは、こんなことで心中は困惑の極みにある。人生の晩年を生きる私にとっては、生きて就寝にありつき、深い眠りに落ちて、再び目覚めるときこそ、パラダイス(楽園、桃源郷)である。ところが現在の私には、熟睡そして安眠など、夢まぼろしになりかけている。もとより睡眠こそ心が安らいで、無償の快楽を得るはずである。ところがさにあらず、現在の私は、その快楽を奪われている。すると、その主犯は浅い眠りである。なんだかこの文章は、きのうの文章の丸写しになっている。だったらやはり、ここで止めるべきなのかもしれない。その決意が鈍れば、この先へいたずらに続くかもしれない。これまた、きのうの言葉を繰り返すと、「くわばら、くわばら……」である。そんなこと意に介せず続ければ、やはり浅い眠りを為すものを浮かべて、書き添えなければならないであろう。
 浅い眠りを為すものは、総体的には終焉が間近に迫る、わが命の悪あがきである。ところがその現象は、こともあろうに最も心が安寧になるはずの睡眠時に見舞われている。すなわち、それらが浅い眠りの根幹を成している。しかしながら、それらに順番をつけることはできなくて、醜悪なことではほぼ一様である。すなわちそれらは、悪夢、頻尿、そして終活を浮かべての困惑や煩悶である。すべては、年齢による祟(たた)りである。加えて、昨夜もまた、十二時近くに就寝した。その主因は、WBC(野球の国際試合)のテレビ観戦である。昨夜の試合は、中日ドラゴンズのホーム球場(バンテリンドームナゴヤ)から移して、異国・台湾(台北ドーム)だった。このため、時間のずれもあって試合時間は、おのずから日本における試合より、一時間ほど遅く終わった。試合自体は侍ジャパン対韓国代表チームであり、結果は6対3で日本チームが勝利した。そしてきょうの試合は、侍ジャパン対地元・台湾代表チームである。台湾チームは強いため、きのうの韓国戦を凌いで、熱戦が予想される。挙句、テレビに釘付けになる私は、過日のオーストラリア戦、きのうの韓国戦、そしてきょうの台湾戦に続いて、つごう三度の遅い就寝になりそうである。もとよりこちらは、わが意を得たものであり、そのせいで浅い眠りにあっても、恨みつらみはない。
 恨みつらみつのるのは、年齢の祟りから生じている浅い眠りのしわざである。「ひぐらしの記」を書かなければ、こんな野暮天なことなど書かずに済んだ。一方、それを続けるには、こんなことまで書かなければ継続はあり得ない。嗚呼! 恨めしや「八十四歳」。初冬の朝は、わが老いた気分を癒す、のどかな日本晴れである。

ちょっぴりの自惚れ、許してください

 きょうは「七五三」(十一月十五日・金曜日)。曽孫がいれば「千歳飴」を提げて、お宮参りの愉しみがある。それは叶わずかつての私は、綺麗に着飾った親子連れが楽し気に参道を歩く姿を眺めるために、「鶴岡八幡宮」(鎌倉市街)へわざわざ出かけていた。歩いてそこへ向かうわが足は、初冬の木漏れ日を浴びて、近場の「天園ハイキングコース」の山中道を、ときおり小走りして踏んでいた。まだ、年齢に翳(かげ)りのない頃にあっての、楽しく、懐かしい思い出である。
 今やわが年齢は八十四歳、この年齢にあっては寸刻を空けずにいろんな思いが、その多くは様々な悩みごとがこびりついている。行く年くる年、それはわが命果てるまで、増幅するばかりである。喜ぶべきかそれとも悲しむべきか、それを拒んでくれるのはわが命のジエンド(終わり)である。医者に掛かればわが浅い眠りには、珍奇な病名がつくのであろうか。そうであれば、「くわばら、くわばら……」である。
 きのうを超える浅い眠りを被り、早い起き出しを食らっている。ゆえにいまだ、きょうの夜明けの空模様を知ることはできない。しかし、このことは記すことができる。それはきのうの気象予報士によれば、きょうは雨の予報である。浅い眠りの現象には、朦朧頭、眠気眼、さらには精神錯乱状態がある。すなわち、三つ巴の悪の報(むく)いである。そんな混乱のせいなのか、心中に恥じるべきことが浮かんでいる。もとより、わが文章にたいし、人様から誉め言葉をさずかったり、それを強請(ねだ)ったりすることはできない。そうであればないものねだり、あるいは空威張りに、ときには嘘っぱちにも自惚(うぬぼ)れてみたくなる。いや、空虚な嘘っぱちであっても自惚れは、「ひぐらしの記」の継続のためには、確かな必要悪の原動力を為している。逆に言えば自惚れがなければ、こんなに苦衷や呻吟まみれを被り、書き続けることもない。
 もとより、人様が認めるものではなく、自分だけが感じている自惚れの因をちょっぴり記すと、こうである。これまで観ていたNHKテレビにおける朝の番組(七時台)を葬り去り、執筆にかかわる制限時間の箍(たが)を外して以降は、執筆にあって心に余裕が持てている。するとこの効果には、それまでの走り書きや殴り書きを遠のけて、いくらかわが意に適(かな)う文章にありついている。もちろん、人様の目には代り映えはしないけれど、わが意中には少しばかりの満足感をおぼえている。すると、文章の出来栄えはともかく、このことがいっとき、自惚れを恵んでくれるのである。
 きょうは恥を晒しても、独り善がりにこんな文章を書いてみたくなっていたのである。きょうは自惚れることはご法度(はっと)の実のない文章である。だけど、頓挫を免れたことをちょっと自惚れて、「ひぐらしの記」は、あすへ繋がりそうである。まだ薄暗い夜明けは、大空から雨を降らしている。思いがけなく、早い書き上げで、朝飯前に数十分、寝床へ就けそうである。

大沢さまのお帰りを待っている

 十一月十四日(木曜日)。早い起き出しを食らっている。常にわが眠りは浅く、特に昨夜の場合は、正味の睡眠時間は三時間程度であろう。開催中の「ラグザスpresents第三回WBSCプレミア12」(野球の国際試合)にあって、昨夜は侍ジャパン対オーストラリア戦のテレビ観戦を終えて、私は十一時近くに就寝した。それなのに目覚めて起き出しは早く、四時ぎりぎりである。仮に天秤にかければ、風袋込みでも五時間くらいにすぎない。二時間ほどは寝つきの悪さと途中の目覚め、頻尿によるトイレ立ちの繰り返し、はたまたスマホニュースの閲覧などに、無駄な時間を費やしたからである。自分自身にはまったく身に覚えはないけれど、どんな不断の悪の報いなのであろうか。つくづく、つらい仕打ちである。
 「ひぐらしの記」は文字どおり私日記風に、目覚め起き立てに書き連ねている。その多くはネタ無しをこうむり、行き当たりばったりに書き殴りと走り書きのダブルに甘んじている。すると、日は替われど書き出しの文章は、まるで万年床のごとくに変わりなく、私は嘆息を吐くばかりである。この悪弊を打破(改善)するには起き出しに書くのを止めること、できれば昼間へ移行するにかぎるのである。こんな容易(たやす)いことは承知の助で、これまでなんどかそれを試みた。ところがどっこい、実際には昼間への移行は果たせなくて、元の木阿弥を繰り返し、なさけなくも元の鞘(さや)へ収まっている。夜明け未だ遠く、きょうの天気模様を知ることはできない。
 さて、きょうの文章の本題に入ればこのことである。現代文藝社を独りで起ち上げ(主宰)、当掲示板を開かれている大沢さまは現在、二週間おきの定例のご実家(茨城県古河市)行きにある。そしてきょうは、わが家(埼玉県和光市)へお帰りの日である。ところが、この間にあって掲示板上には、うれしいできごとがあった。すなわちそれは、きのうの掲示板上における、たまご様のご登場である。たまご様は初めてにもかかわらず、秀逸な作品『泉』を掲げて、満を持してのお見えだった。私はうれしさのあまり、きのうの文章の表題には、「わが疲れを癒す、たまご様の同士(同志)入り」と、記した。大沢さまは、きょうの午後にはご自宅へ帰られるはずである。すると大沢さまは、たまご様のお名前と『泉』を真っ先に目に留められて、そのお喜びのようがわが目に映じてくる。私はこのことを書きたくなって、この文章を書き始めたのである。ところが、無駄な序文が長すぎて、今は自分自身を恥じているところである。たまご様の同士(同志)入りに際し、再び、「大万歳、大歓迎」を唱えて、この文を結ぶものである。
 大沢さまのたまご様への歓迎の辞および文、待ちどうしところである。私は『泉』読んでしばし、卵(受精卵)を食べるのは、控えておこうと決意した。そのぶん、雛へ孵(かえ)れば存分に可愛がるつもりである。
 夜明けの空は曇り空であり、かつ眠りが浅い割には好気分である。84歳のわが身に、ひとり、お仲間が増えたおかげである。長生きに損はない。

わが疲れを癒す、たまご様の同士(同志)入り

 十一月十三日(水曜日)。ほぼ定時の起き出しだけれど、夜長の季節にあっては夜明けの空模様を知ることはできない。しかし、パソコンを起ち上げて掲示板を覗けば、このことは知ることができた。掲示板上には、たまご様の初投稿作品『泉』が掲載されていたのである。そしてそれは、わが書き続けている「ひぐらしの記」とは異なり、本格的な創作文である。行替えには意を尽くされている。みずから、行替えのない不断の自分の書き殴りの文章に飽き飽きしていると、胸の透く思いになりすぐに読み始めた。久しぶりに読んだ、人様(たまご様)の秀逸文章だった。しかし、文章書き素人の私には、これ以上の作品の批評は烏滸(おこ)がましくてできない。ゆえに、このことは大沢さまにお任せである。ただ、現在のわが思いは、きょうのわが拙文は出番なく、ここで結び文とするものである。幸いなるかな! 不断のわが書き疲れはとれる。それよりなにより、たまご様が書き手に加わっていただいて、うれしさが溢れている。その証しには、目覚め時のわが憂鬱気分は、さわやか気分へ変わっている。目覚め時の私は、きょうは何を書こうかな? と、いつもにもまして鬱々としていた。挙句には枕元へ置く電子辞書へ手を伸ばし、二つの簡易な日常語の意味調べを試みた。一つは、「味噌をつける」である。「味噌をつける:しくじる。失敗する。面目を失う」。そして一つは、「図に乗る」である。「図に乗る:調子に乗ってつけあがる」。なぜ、こんな言葉を心中に浮かべていたかと言えば、それはある党首の不倫ニュースに絡めてのことである。
 きょうのわが文章はこれだけでおしまい。そして、この程度なら疲れはまったく無い。さらにはさわやか気分である。しかし、さわやか気分の出どころは、自分の功(こう)ではなく、偏(ひとえ)に、たまご様の同士(同志)入りによるものである。失礼を省みず文尾にあたり、ありがたく、御礼を申し上げるところである。
 夜明けて、胸の透く初冬の日本晴れが訪れている。

題無しの番外編

 大沢さまのご好意に背くまいという一心で、我楽多(ガラクタ)のわが脳髄に鞭打ち、私は長い間「ひぐらしの記」を書き続けてきた。できれば過去形にせずこの意思は、この先へ繋がることを願っている。ところが、この意思を阻むものは他人事(ひとごと)にはできず、自分自身の中にのみあまたある。総じてそれらは、悔い心から生じている泣き言である。それらの中ではもはや、悔いて泣いたところでどうなることでもないものばかり、人生の終末現象から生じている。それらの多くは余生の短さを鑑みての諦念(あきらめ)であったり、さらにはモチベーション(意識、意欲)の低下だったりする。ところが、今の私にはこれらに抗(あらが)う克己心が欠けている。おのずから日々の文章書きは、風前の灯(ともしび)に遭い、今や頓挫寸前のところにある。
 こんな状態にあってこれまでの私は、わが心境を曝(さら)け出し、まるで呪文(じゅもん)のごとく、「潮時、もう潮時」と、言葉を繰り返してきた。なさけなくもこの状態は今も変わらず、ゆえに私は、突然の文章の途絶えに怯(おび)えている。余命短い老境の身とはなさけなく、すべてにわたりこんな切ない状態である。
 これに次いで文章の頓挫を危惧しているものでは、掲げてきた生涯学習の途絶えからこうむっている。それはきのうの文章の二番煎じになるけれど、わが生涯学習に掲げている「語彙学習」の途中頓挫にある。まさしく「後悔先に立たず」である。今になって続けていればと、悔い心が弥増(いやま)している。もとより語彙不足、そしてことさら嘆くのは、蓄えてきた語彙の忘却の速さである。子どもの頃の私は、近場で見ていた大工さんの様々な道具の使い方に見惚れていた。逆に、道具がなければ大工仕事は、成り立たないことを知った。このことが、子ども心に焼き付いていた。
 このことがあって私は、文章の六十(歳)の手習いを発意したおり、さらには定年後を見据えて、わが生涯学習には「語彙の学び」を掲げたのである。すなわちそれは、文章を書くには「語彙」を大工さんの「道具」に準(なぞら)えていたのである。するとこのことは、かなりの成功を収めた。ところが生来、意志薄弱と三日坊主の抱き合わせの悪癖にある私は、途中挫折をこうむったのである。
 このところの私は、両者の祟りに遭って、文章書きには難渋を極めている。挙句、常に頓挫のお怯えに晒されている。ゆえに書き終えると私は、駄文および雑文など一切お構いなく、ホッと吐息している。いや、わが瞬時の安息でもある。きのうの文章には思いがけなく、かつうれしいことには、大沢さまから追っかけの文章が添えられていた。この中の一行を再記すればこうである。「私は本を読むことをあまりしてこなかった」とあった。大沢さまでもこうなのか! 私には驚きと共に、自己癒しが湧いたのである。同時に、大沢さまにさえ悔い心があれば、わが悔い心など、木っ端恥ずかしい思いにとらわれたのである。ところがなんだか、勇気が湧いた。大沢さまからさずかるコメントには、きのうだけではなくいつも、わが文章に勇気づけと綾(あや)をさずかっている。
 十一月十二日(火曜日)。のどかな夜明けが訪れている。きょうの文章は、起き立てに綴った、題無しの番外編である。