ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
大寒
きのうはおとといへ流れ、きょうはきのうへ流れ、あすはきょうへ流れてくる。人生の晩年を生きる者にとっては、止めようのない(あっ)という間である。この流れの中にあって、感情の動物が住む人間社会には、日々、人間のしでかす様々な出来事が起きる。確かに、世の中を明るく潤す出来事も少しはある。しかしながらそれらの多くは、世の中を暗くする事故や事件がらみばかりである。お釈迦様が説く人間社会は穢土(えど)、四苦八苦まみれだという。これに反しあの世は、極楽浄土だという。(だから、あの世を恐れることはない、いらっしゃい!)と、身勝手な説法を垂れて金銭をせしめている。説法が真実であればこの世(現世)は、あの世(来世)に大負けである。しかし、幸いにも嘘っぱちである。
寒気の底のきょう、「大寒」(1月20日(月曜日)の起き出しにあって私は、いろんな想い(迷想)を浮かべていた。大寒にあって、雨の予報がともなっていた。ゆえに私は、パソコンへ就く前に、傍らの窓ガラスを開いて外気、雨模様を確かめた。ところが、一基の外灯が淡く灯す道路上には、まだ雨の印しはなかった。しかし、予報が確かであれば、時を刻んだこの先のでどこかで、雨が降り出すであろう。大寒なのに雨の予報のせいなのか、寒気は緩んでいる。
きょうのわが夫婦にはそろって、当住宅地内に一院ある、掛かりつけの「S医院」への通院予定がある。ところがこの実行は、寒気は凌げても雨の中では危ぶまれている。なぜなら、歩行不自由の妻の足は、寒気には耐えても雨を嫌うからである。
きょうだったかな? 世界は、アメリカ・トランプ大統領の就任式にあって、祝意と共に恐々としている。一方、快事として伝えられているのは、イスラエルとハマスの一時(6週間)、停戦合意である。しかし、韓国は大荒れ、ウクライナとロシアにあっては、いまだ戦争の止む兆しはない。日本社会も政局、フジテレビ問題、そしていまだに兵庫県知事がらみなどで、喧騒を極めている。近づいた「大阪万博」が、スムースにスタートすることを祈るばかりである。きょうは起き立てに心中に浮かべていたことをあえて記した。実の無い文章は、ここで閉じることとする。
薄っすらと夜が明けて、あれれ!……、小雨が降り出している。おのずからきょうの通院予定はあすへ延びて、茶の間暮らしになりそうである。
嗚呼無常、嗚呼無情
1月19日(日曜日)、時は過ぎても夜明け前にある(6:03)。視覚的にも体感的にも、夜明けの早さ、そして日の入りの遅さ、共にまだ感じていない。この時間だと、ちょっぴりでも夜明けの明るさが欲しいけれど、窓ガラスの外はいまだに真っ暗闇である。いくらか寒気が緩んでいることには、縮んでいた気分を救われている。
ところが起き立てにあって私は、好悪こんなことを浮かべている。文章を書けば、何人かの人は読んでくださっている。文章書き素人の私には、空夢(からゆめ)を見ているような、とてもありがたいことである。(だから、背くまい)。この一念にすがり私は、これまで文章を書いてきた。「塵も積もれば山となる」。挙句、私は「ダボハゼがアユになったような」光栄に浴してきた。ゆえに、これを恵んでくださった人様に対しては、いくら感謝してもしきれない、神様いや人様(現人神)のご好意である。
しかしながらわが体たらくで、もはや継続に陰りが見えて、日々の私は青息吐息の状態にある。継続を阻害するものには、寝起きのネタ無しをはじめとしてあまたある。だけどやはり、最大のその元凶(邪魔者)は、最期の迫る老齢の身にある。現在84歳、そして年替わって7月には、なんと85歳になる。恐ろしいほどに、途轍もない高老齢となる。世の中の有名人、わが周囲の友人知人、そして身内親戚、多くはこの年齢あたりを境にして訃報が伝わってくる。きょうはこんなことを心中に浮かべて起き出している。だからこの先、文章は書けるはずもない。
時が過ぎて、ようやく夜明けが訪れている。朝日の見えない、冬空のどんよりとした夜明けである。
寝坊助の戯言(たわごと)
「大寒」(1月20日)を明後日に控えて、寝起きの私は、寒さでブルブル震えている。しかし、大寒を過ぎれば季節は、段々と春を近づける。春へ向かう足取りには季節用語の「三寒四温」があり、確かに言葉の上でも温かさ(暖かさ)が勝ってくる。だったら嘆かずに、春の訪れを待ちたいと思うところはある。だけどやはり、私は嘆いている。それは、季節や歳月の速めぐり(感)にともなう嘆きである。いや、もっと直截的(ちょくせつてき)には、わが余生(余命)の縮まりに対する嘆きである。寝起きに書くわが文章は、いつも様にならない。これまた、大きな嘆きである。
さて、大相撲においてはきのう、横綱・照ノ富士の引退が伝えられた。照ノ富士は、病と怪我すなわち、満身創痍に見舞われて奮闘を続けてきた。だから私は、切なく声なき声で声援を続けてきた。ゆえに、照ノ富士の引退にあっては、大相撲のテレビ観戦における、わが楽しみの一つが消えたのである。身勝手に嘆かわしいとは言えないけれど、すこぶる残念無念である。
きょうあすにあって大学入試は、本番を迎えている。人間社会は、常に競争場裏に晒されている。言葉を変えれば、常に生来の才能の有無に晒されている。もちろん学問だけの才能ではなく、スポーツや多芸ほか、様々な才能を含めてである。そして、これらに恵まれた人は、早々と推薦を勝ち取り合格にありついている。そしてこれらの人たちの中には、貸与ではなく給付型の奨学金にありつける人もいる。これに反し、長いあいだ塾費用などをかけても、合格にありつけない人がいる。幸運にも合格してもこんどは、貸与型の奨学金とアルバイトまみれになる人がいる。もちろん様々な入試だけではなく、だれしも人生行路には才能の有無に見舞われて、才無き人にとっては嘆きの茨道である。
6時近くに目覚めて、きょう(1月18日・土曜日)は、こんなことを書いてしまった。ようやく、夜明けの早さを感じるようになり、すでにのどかな朝ぼらけが訪れている。
生きて「30年」
現在、デジタル時刻は、4:42と刻まれていた。当時の私は同時刻、兵庫県尼崎市東園田町にある単身赴任用の借り上げマンション401号室で寝ていた。当時の起き出しはいつも、5時過ぎだった。きょう(令和7年・2025年・金曜日)、スマホを片手にしてこのことを確かめた。「阪神・淡路大震災とは、1995年(平成7年)1月17日(火曜日)5時46秒52秒に発生した兵庫県南部地震により引き起こされた災害のことである」。実際のところは確かめるまでもなく、寸分たがわずわが脳髄の記憶の中にある。なぜならこのときの私は、この地震の確かな罹災者である。その証しには、世の中の人たちから助成金(罹災見舞金)を賜っている。
当時の私は、勤務する会社の大阪支店(中央区淀屋橋)において、管理課長の任に当たっていた。住まいは単身赴任を認められて、「阪急神戸線」を頼りに、上記の一室に構えていた。現在、デジタル時刻は5:05である。当時の私は、もちろん一人寝である。不断から私は、寝覚まし時計など不要の早起きである。始業時間(8時30分)に合わせて、そろそろ起き出していた。一人、小さなテーブルを前にして朝食をとり、早やてまわしに出勤準備を整えていた。単身赴任の出勤準備は、もとよりすべてわが行動は、完全無欠でならなければならない。これに向かって、まだいつもの出勤前の行動である。出勤前の最後の行動は、トイレの用足しである。私はトイレの中で地震に見舞われた。棚にぎっしり詰めて並べていた本類のすべてが、頭、肩、背中、いや全身に落ちてきた。台所を除いて一間の部屋には、括りつけの洋服ダンスから、こちらもすべてが部屋の中に散らばっていた。これらのほか、小型のテレビ、小型の食卓(テーブル)などこれまたすべてが、足の踏み場なく、散らばっていた。
管理課長は支店長を除けば、内輪の責任者である。わが私生活および勤務の生活共に、この地震以降は長く、つらく一変した。30年前の地震のことを私は、生きて書いている。多くの犠牲者を鑑みれば、やはり幸運と言えるであろう。現在、5:46になった。文章を閉じます。
詫びと御礼
1月16日(木曜日)。デジタル時刻は現在、まるで神業のごとくにわが起き出しの定時、5:00ちょうどを刻んでいる。しかし、睡眠にあっては二度寝にありつけず、浅い眠りのままの起き出しを食らっている。高橋弘樹様から賜った「笑いのご教示」は、そののちいまだ実践にいたらず、伏して詫びるところである。これに加えて、詫びなければならないものには、大沢さまへの無礼がある。大沢さまもまた、わが胸の痛みを心配されて、いちはやくそのことをパソコンメールで送信されていたのである。ところが私は、パソコンメールを開かず、そのことに気づかずに過ぎていた。ゆえに遅れて、大沢さまにたいし、詫びと御礼を記すものである。お二人のほかたぶん、掲示板に訪れておられるご常連の人たちもまた、声なき声でご心配くださったと思い、こちらにも御礼を申し上げるところである。わが高年齢のしでかしゆえに、一寸先は闇の中でありこの先、心配はご無用とは言えないけれど、そののち痛みは免れている。きょうは私事、このことを書けば十分である。だから以下は、付け足しである。
きのうの「小正月」(1月15日・水曜日)にあっては、テレビニュースの映像には日本列島各地の「どんど焼き」風景が散らばった。私は映像を観て、子ども返りとなり、懐かしく郷愁まみれになっていた。「ひとり笑い」は零れなかったけれど、心は全開に和んだ。前日の胸の痛みを和らげた、棚ぼたの小正月だった。
一方、小正月が過ぎて、それを境にしてきょうあたりから、正月気分は遠のいて行く。するとこの先は、春の訪れの楽しみにすがるわが日暮らしである。元気にいや生きて、暖かい春を迎えたいものである。
デジタル時刻は、ちょうど5:30。夜明けの光は、まだ先である。肌身は、寒気にブルブル震えている。「大寒」(1月20日)は、まもなくである。
知恵者、高橋弘樹様からさずかった教訓
起き出して来てパソコンを起ち上げると、デジタル時刻は、4:57と刻まれている。起き出し時刻は、みずから決めている定時(5時)近くにある。まずは生きて起き出していることに、みずからを褒めている。これに微笑(ほほえみ)がともなうと、起き出しは100点満点である。けれど、無念にも笑みは零(こぼ)れていない。いや、笑みの無いことには、ホッとしている。なぜなら、こんなことに笑みが零れたら、もはや私は気狂い(症状)である。
パソコン起ち上げの倣(なら)いにしたがって、机上カレンダーを見詰めた。すると、きょう(1月15日・水曜日)には「小正月」と記されている。ふるさと時代の子どもの頃の小正月には、元旦の行事(雑煮餅、神棚参りなど)がそっくり繰り返された。加えて小正月特有に、村中の地区ごとには「どんど焼き」が行われた。村人総出の楽しいひととき(行事)であり、老若男女(ろうにゃくなんにょ)だれもが満面に笑みを湛えていた。青竹の先っぽに差した餅を焼くときには、隣の人の焼け具合を見て呵々大笑(かかたいしょう)の渦が湧いた。
さて、きのうは文章を書いている最中に突然、胸の痛みをおぼえて、心筋梗塞を恐れてすぐに文章を閉じた。こののちは幸いにも事無きを得て、明けて現在は、文章書きにありついている。(なんだったんだろう?……)、今ではちょっぴり笑いたくなるような出来事だったけれど、もちろん笑えない。このときの異変に対し、心優しい高橋弘樹様は早速、いつものエールに加えて、貴重なアドバイスを授けてくださったのである。それは、わが日常生活における「笑いのすすめ、笑いの大事さ」だった。数々の笑いの種のアドバイスにあって、究極はこれだった。高橋様の訓えの根幹はこれである。「笑いたくなくても、『はははははーー!!』」と声に出して笑ってみる」。すなわち、笑いの大事さの諭(さと)しである。すると、このことにちなんで私は、スマホを片手にして「笑い」の検索を試みた。このあとは、スマホの記事のそのままの引用である。
【笑いとは、楽しさや嬉しさ、おかしさなどの感情を表現する行動です。声や顔の表情で表され、感情体験と深くかかわっています。笑いの効果には、次のようなものがあります。・心身の健康を改善する・免疫力を高める・脳の働きを活性化させる・血行を促進させる・自律神経のバランスを整える・痛みを和らげる・記憶力を高める・認知症の予防に効果的】。「笑いは、感情ではなく行動なので、意識的に増やすことができます。人付き合いを増やしたり、笑いヨガを行ったりすることで笑いを増やすことができます」。
きょうは歯医者通い、泣くことは容易(たやす)いけれど、わが日常生活にあって笑いは、とうに消えている。少しは高橋様のアドバイスに報いたいものである。もちろん、わが健康のためである。きのうの突然の胸の痛みは、笑いを忘れているわが日常生活の祟りであったろう。夜明けの空は、どんより曇っている。
あれれ!……
昨夜(1月13日・月曜日)、宮崎県は震度5弱の地震に見舞われたという。地震は大小、時を選ばず日本列島のどこかを絶えず脅かしている。中でも震度5弱に出遭えば人は、生きた心地のしない恐怖に晒される。幸いにも昨夜の地震には、大きな被害は報じられていなく、ひとまず安堵するところである。
1月14日(火曜日)。壁時計の針は、6時近くを小気味よく回っている。一方、人間社会にあっては、きょうという1日が、無事安楽にめぐることはない。柱時計は人工の産物だから時々刻々、障りなく秒針を刻んでゆく。ところが、生身の人間の個々人の集合体である人間社会は、そうはいかず絶えず、人間自体がしでかす混乱の渦の中にある。様々な事件、突如の事故など、かぎりなくあまたある。衣食住プラス金銭の不自由、避けて通れない人体の病、ほか生きるための難行苦行は計り知れなくある。これらに異常気象がもたらす災害、さらには地震をはじめとする天変地異の鳴動が加わって、人間の日常生活は常に脅かされて営まれている。これらを克服して生きるためにはもとより、個々人は強靭な精神力と生きるための知恵を備えていなければならない。
翻って、私にはそれらがない。挙句、人生の終末を生きる私は、生きるための戦いに悪戦苦闘を強いられている。実際には人生の終わり方を鑑みて、心身の安らぎを阻まれている。こんなことを書くようでは、とうとう気狂いになってしまったのかと、自覚して思うところである。「ひぐらしの記」は、確かな止め時にある。このところの私は、頓(とみ)に文章を書くモチベーション(意欲、気力)の萎えに見舞われている。ところがそれは、総じて克服できそうにない、人生の終末現象だからいっそう厄介である。あれれ!……、急に胸の痛みをおぼえている。しばし、収まるのをじっと待っている。文章は閉じる。
成人の日
わが精神は希望を断たれ、身体は老いさらばえている。余命は、カウントダウンの後半のさ中にある。日々、私は生きることに苦しんでいる。いや、私にかぎらずおおむね、人生の終末を生きる、人間の精神と身体模様(状態)である。
人は生まれると赤ちゃんと呼ばれ、こののちは生涯を生存の期限として、年数という時を刻んでゆく。もちろんそれを、三区分で表すには大まかすぎる。けれど、若年(じゃくねん)、中年、老年と、区切ってみる。確かに、大まかすぎる。なぜなら、若年にあっても年代は、赤ん坊、幼年、少年、少女、あるいは総じて青少年、そしてこれらをひっくるめて「子ども時代」と言える。子ども時代の先は、それを脱して日本社会(国)が認める「おとな時代」である。その儀式と言えるものは、年を変えて毎年訪れる「成人の日」(国民祝日)である。
かつての成人の日は一定日(1月15日)だったけれど、2000年から1月の第2月曜日に変わっている。変更の意義は週末二日の休日に合わせて、三連休とするためのものである。これに基づいて、新年(令和7年・2025年)の「成人の日」(1月13日・月曜日)が訪れている。おのずから、三連休最終日である。
現在の時はまだ夜明け前であり、夜明け模様(天気)を知ることはできない。しかし、寒気は肌身に沁みている。余命わずかとはいえ私もいまだ日本国民ゆえに、もはや成人の日は無縁とは言い切れない。ゆえに私は、新成人のおとなへの門出を寿(ことほ)ぐ気持ちを十分にたずさえている。
現下の日本社会は、少子高齢化社会にある。このことを鑑みれば新成人は、まさしく日本社会の宝物の真っ只中にある。だからすべての新成人は、前途洋洋の意気をたずさえて、各自治体が催す「成人式」に出席することを願うところである。もちろん、それにありつけない妬みや僻みなど一切なく、新成人のおとなへの門出に際し、謹んで餞(はなむけ)の言葉を添えるものである。
気になるのはやはり、成人式(祝典)にあたりきょうの天気模様である。立って、傍らの窓ガラスを開けて、外気を確かめた。一基の外灯が淡く灯す中、風・雨共にない静かな夜明け前にある。きょうの天気予報は聞きそびれている。
作者と、作品を世に出された、お二人に称賛
あすの「成人の日」(1月13日・月曜日)を含めて、三連休の半ばにある(1月12日・日曜日)。人間社会は年代を変えて、机上カレンダーにそってたゆみなくめぐっている。つれて、わが世代・昭和は、はるか遠くへあとずさり、おのずからわが生存は現世から消えて、あの世に墜ちる。だけど、同世代だれしものことゆえに寂寥感はない。ただ一つ望むところは、七転八倒することなく静かに、野末の草場の露に濡れたいものである。
冒頭に気分の滅入ることを書いてしまい、のっけから平に詫びるところである。目覚め時にはこのことを書こうと思っていたのに、後回しになったのは品格劣るわが罪である。内心では称賛が遅れてしまい、申し訳なさでいっぱいである。
掲示板上掲の写真は、冬空の下、地上に広がる田畑や森に、日光がのどかに零れる胸の透く絶景である。掲載の写真は、プロを目指す半ばに若くして逝かれた、坂本弘司様が遺されたものである。私はもちろん、坂本様の作意など知ることなく、掲示板を開くたびにしばし眺めて、ひたすら称賛と堪能を極めている。このわが思いに常に加わるのは、お姉様・大沢さまの弟君・弘司様にこびり付いている優しさである。もとより、姉君・大沢さまの優しさがなければ、弟様のどんな名作も隠れたままであり、ゆえに私たちが目にすることはできない。このことではお二人しての名作と言えるものであり、お二人に対し賛辞つきないものがある。
上掲の写真にかぎらず大沢さまは、季節に応じてそれにふさわしい、弘司様が遺された写真を掲げてくださっている。おのずからそのたびに私は、無粋な言葉を用いれば目の保養と称賛にさずかっている。どんな名作であってもそれを伝える人がいなければ隠れたままであり、人の目に触れることはできない。ゆえに私は、掲示板を開くたびに弘司様と共に、大沢さまへ感謝しきりである。きょうはこれまで胸につかえていたことを書いて、結文とするものである。
現在の時刻は6:00ちょうど、夜明けの明かりはまだ見えず、外は真っ暗闇である。だけど、胸のつかえがとれて、私は気分の好い夜明け前にある。
正月の歳時、1月11日には「鏡開きと「蔵出し」
きのうの文章は『最後の砦』、変な文章を書いたものだと悔いている。「ひぐらしの記」はやはり、もう書くべきではないのかもしれない。書かなければ自分自身、楽な気分になるし、人様に不快な気分を、及ぼすこともない。もちろん、わが文章の拙さのせいである。ひぐらしの記は、私日記風特有に、日を空けずに書き続けることだけを願っている。命題にそって文字どおり、「日暮らし日記」と言えるものである。実際には寝起きの朦朧頭と眠気眼、加えてみずからもうけている制限時間内に書いている。挙句、おのずから文意および文体のととのわない、書き殴り文に陥っている。ゆえに恥を晒し、同時にわが悔いるところである。
しかし、悔いてどうなることでもない、わが能力の限界をこうむっている。継続を叶えるためにはただ一点、どんな餌にも食いつく「ダボハゼ」の心境をたずさえていなければならない。なぜなら、ネタ(餌)がなければひぐらしの記は、たちまち継続を断たれて「お陀仏」となる。この時季、寒気に震えて書く価値はない。しかしながら一方、私は継続が断たれたのちの「心の空白」に怯(おび)えている。だから私は、ダボハゼ状態になって、釣り針を含んでいようがいまいが堪えきれずに、なんでもネタになりそうなものには飛びつくのである。
寝起き書きの習性にしたがって、パソコンを起ち上げると机上カレンダーを眺めた。するとシメシメ、ネタになりそうな歳時にありついた。喜び勇んで、机上に置く電子辞書を開いた。まさしく私は、人魚の大型のダボハゼさながらである。きょう(1月11日・土曜日)には、二つの歳時(行事)が記されている。だれでも知るものだけれど、継続を叶えるためには、おのずから恥の掻き捨ては厭(いと)わない。
一つ目「鏡開き」、【(「開き」は「割り」の忌み詞)。①正月11日ごろ鏡餅を下げて雑煮・汁粉にして食べる行事。近世、武家で、正月には具足餅を、女は鏡台に供えた餅を正月20日(のち11日)に割って食べたのに始まる。鏡割り。②祝い事に酒樽のふたを開くこと。鏡抜き】。
二つ目「蔵開き」、【新年に吉日を選び、その年初めて蔵を開くこと。多くは1月11日とし、福神に供えた鏡餅で雑煮を作ったりする】。
寒気にブルブル震えて、この先、自作文を加える気はしない。夜明けはいまだ訪れず、窓ガラスの外に太陽の光はなく真っ暗闇である(5:57)。