もちろん、戦雲下とはまったく比べようはない。しかし、現下の日本社会に垂れ込む暗雲は、少しはそれに似ていて、日本国民の気分は晴れず塞ぐばかりである。いや、気分だけでなく命にかかわる災難をもたらしている元凶は、日本社会における新型コロナウイルスの蔓延である。対策分科会の尾身茂会長はきのう(四月十四日・水曜日)の衆議院厚生労働委員会で、「第四波に入っているのは間違いない」と、言われたという。専門家トップがひと言で伝えられた、新型コロナウイルスの現在の状況である。自粛疲れあるいは自粛慣れと言われるなかにあって、新型コロナウイルスの勢いのぶり返しは、専門家集団さえいくらか出し抜かれたことのようだった。
ない物ねだりのごとくに、もう打ち止めになるだろうと、ひそかに願っていた国民の終息への期待は、四波と言われてまたもや粉々に打ち砕かれている。だからと言って、新型コロナウイルスへの対応にたいし、政府や自治体へ非難を浴びせることは慎まなければならない。なぜなら、日本社会は新型コロナウイルスのもたらす、加害者無き共通の被害者である。しかしながら大あわてぶりがメディアから、感染者数や死亡者数などの数値をともなって、今なお日々伝えられてくる。そのため国民は、いまだにまったく勢いが止まらない数値を、いやおうなく見ることとなる。おのずから他人事(ひとごと)には思えず、先ずは気分の憂鬱(感)を招き、具体的には政府や自治体の呼びかけに呼応し、自粛生活を余儀なくする。今のところは仕方なくそれに耐えているけれど、この先いつまで続くのかと、国民にはやるせない気分横溢(おういつ)である。
確かに、他人事ではなく自分自身、憂鬱気分横溢と感染不安におののくところである。まさしく、日本列島くまなく垂れ込める、国民の気分を塞ぐ暗雲である。現下の日本列島にあっては、国民が生き続けることの困難さが日々、数値をともなって示されている。このことでは戦時下において、大本営から時々刻々に伝えられる戦況に恐々と怯(おび)える国民の心理状態に、ちょっぴり似ていると言えそうである。もちろん、銃後の守りなどと区別されるものではなく国民こぞって、行動や行為を制する文字どおり、自粛や自制するだけの武器無き戦いである。
挙句、新型コロナウイルスの感染(力)を封じ込めるために国民が唯一すがるのは、それに抗するワクチン接種である。いよいよ日本列島にあって、優先順位をつけてワクチン(接種)のお出ましである。ワクチンと自粛行動との二人三脚で、悪の根源を叩きのめしたいところである。まさしく、日本国民・老若男女こぞっての暗雲一掃の戦いである。
老身に鞭打って私自身、本土決戦の心意気や心構えを持たねばならないであろう。しかし、余生短いさ中にあっては、長期戦になることだけは真っ平御免である。いや、新型コロナウイルスの退治が叶って私は、おだやかですこやかな日暮らしを願っている。なぜなら、決して欲張りとは言えないほどに、私には「あと(残りの日数)」がない。