掲示板

坂本弘司撮影

学び

大沢先生、NHKでも、短歌や俳句の番組、放送されていますよね。
こちらのほうも、たまに見ていたのですが、やはりさっぱりわかりませんでした。
昨日の先生の投稿のタイトルに、「作品を深く読み取る力」というのがありましたが、誠に恥ずかしながら、アート作品から、作者が何を言おうとしているのか、また、自分はなぜこの作品に惹かれるのか、など、意識的に言葉にするようになったのは、つい最近のことです。
本当にお恥ずかしいことです。
NHKの短歌や俳句の番組なども見て、これからたくさん学びたいと思っています。

夏井先生

俳句のほうは、本当に最近始めたばかりなので、今までテレビを見ていても、さっぱりわかりませんでしたが、夏井先生の、言葉の使い方ひとつひとつにこだわる姿勢を見て、これからたくさん学びたいと思います。
古閑さん、ありがとうございました。

仲間同志の情報交換

 掲示板が賑やかで楽しくなりました。何か話題を投稿するとすぐに行動を起こしてくださる。プレバトは随分前から放映されていましたよね。最近は見ていませんが、はじめの頃は珍しくて見ていました。最近は朝六時二十五分からNHKのみんなの体操を毎日テレビ画面を見ながらやっていて、短歌や俳句もその前後に放映されていますので見ています。皆さんの日常も垣間見えて、親しみが沸きます。

プレバト

古閑さん、情報をお寄せくださり、ありがとうございます。
私も、楽しく見ております。
俳句の回も好きですが、私は特に絵の回が好きで、タレントさんたちの、あまりに写実的な絵の上手さに感動しております。
みなさん、手先の器用さや豊かな観察力と想像力をお持ちなのだろうなと、憧れのような気持ちも抱いています。
文学も含めて、アートは心の感受性を高めて、豊かな表現力を養い、人生を楽しくさせてくれる、ひとつの方法かなと思っています。

♪古閑さんへメッセージです♪

古閑さん、テレビ番組を紹介してくださり、どうもありがとうございます。
少し検索しましたが、プレバトは、プレッシャーバトルの略なのですね!!
そして、俳句の才能査定ランキングのコーナーで、夏井いつき先生ですね。
ぼくは、夜勤のためリアルタイムでは難しいので、録画して後日視聴したい、と思います。

参考まで

 皆さん俳句の話で花が咲いているようですね。テレビでタレント等の俳句を添削しているのをご存じでしょうか。参考まで書いておきます。
 毎週木曜日午後7時からTBSテレビ(6チャンネル)プレバトで元学校の先生だという人がタレントの俳句を添削しています。ただ俳句だけでなく色鉛筆で描いた絵等もあるときがあります。

補助線

大沢先生、お返事ありがとうございます。
先生に解説していただき、その上で改めてイメージしてみたところ、確かに先生のおっしゃる通りのように思えました。
解説という補助線が一本入ることによって、作品の味わいが深まりました。
言葉って難しいです。
先生も、選者の方に直接指導を受けられなかったことを悔いておられますが、やはり、初めのうちは、しっかりと指導を受けることが上達へ向かう道なのでしょうね。
ご解説いただき、ありがとうございました。

作品を深く読み取る力

 私も短歌や俳句を詠む場合、作者の心を読み取る力不足は毎度経験しています。「老いた手」と私は詠みましたが、年取ったおじいさんの手というつもりで詠みましたが、「老いた手」では年を取った手としか感じられず、「老いの手」となると老人の手とはっきりします。若くて年を取っている手と漠然としてぼやけてしまうので、この場合は「老人の手」と断定した方が良いのでしょう。選者から直接指導を受けなかったことは悔やまれます。

「老いた手」と「老いの手」

大沢先生、先生の貴重な思い出をお話しくださり、ありがとうございました。
老いた手、と老いの手、私にはどちらもよいように思えて、正直なところ、はっきりと違いを言葉にすることができません。
文学に長年携わっていらっしゃる先生でさえ、気づいたのが最近とのことなので、まだまだヒヨッコの私には、わからなくて当たり前かもしれません。
ただ言葉を大切にする、ということは、少しわかる気がします。
使う言葉によって、見える世界がまるで変わってくる、ということは、拙いながらも、私にも感じられることがあります。
ちょっとした言葉の刺激で、同じものでも、受け取り方がまるで変わってくる、ということを経験しました。
老いた手、と、老いの手、を使い分けられるほど、私自身は、まだまだ言葉に精通しておりませんが、先生のお話しから、貴重な学びを得られたと思います。
ご指導ありがとうございました。

思い出

 俳句といえば、高校一年生の頃のことが強烈に思い出され、最近になってやっとその意味が理解できるようになった経験があります。課外授業でバスで遠足がありました。国語の授業で俳句を作ることが前もって宿題にされていました。ある有名な俳人が選者だということで、国語の専科教員もその宿題に力を入れていたようでした。
 私は遠足の風景などを詠んでも良いものはできないと思い、遠足を意識せずに作ってみようと考えました。そこで休憩時間のある情景を詠みました。
 老いた手にアイスクリーム代三十円
 バスが止まった駐車場に年をとったおじいさんがアイスクリームを売りに歩いていたのを思い出したのです。生徒たちがバスの窓からおじいさんを呼び止めてアイスクリームを買っていた情景です。
 作品を提出してしばらくたって国語の授業で私の句が最優秀賞に選ばれたと発表がありました。そして、私は職員室に呼ばれて、国語の専科教員から「君の作品の老いた手とあるのを老いの手としてはどうかと選者から指導があったけれどどうかな」と言われたのです。私は一生懸命自分の句の説明をしていました。専科教員は「そんなことはわかっている」といらだちの言葉を投げかけました。俳句の知識などなかった私は、専科教員の言っていることががよくわからないままに句を直すことを承知していました。
 最近になって、その違いがわかってくると、落ち込むほど恥ずかしくてたまりません。取り返しのつかない恥ずかしさは思い出すたびに苦しくなるほどです。
 「老いた手」を「老いの手」に直すだけで句が生き生きとしてきます。そこに気がつかなかった私は、最優秀賞に選ばれる価値が無かったと今でも思います。そして言葉の大切さを噛みしめています。