前田静良

ひぐらしの記

「惰性の美学」を損ねた祟り

このところの私は、闘わずして自分自身に負けている。すなわち、克己心をすっからかんに失くしている。惰性という継続をみずからの怠け心で断ったのちの再始動には、ほとほと困難を極めている。もちろん、これまでも何度となく体験してきた厄介事である。  ...
ひぐらしの記

加齢、休みます

五月二十六日(水曜日)、継続だけが取り柄の『ひぐらしの記』も、継続に翳りが現れています。継続するにあっての根幹をなす、意欲の喪失に見舞われているからです。かかりつけの主治医先生に相談すれば、おそらく「加齢のせいですね!」と、悪びれることなく...
ひぐらしの記

新型コロナウイルスとの戦い、つれづれ

余儀ない新型コロナウイルスとの戦いのせいで、私は人類共通の光景に遭遇している。このことでは語弊があるけれど、ちょっぴり感慨深いものがある。惜しむらくはこの光景がもっと早く訪れていれば、多くの人の命が絶えずに救われていた。そのことでは残念無念...
ひぐらしの記

私信

先ずは掲示板上において、私信をしたためることをお許しください。本来であればいただいたお便りにたいする返書は、謹んで手紙などですべきこととは重々(じゅうじゅう)理解しています。このことでは現在したためている文章は、手抜き文として大きなお咎(と...
ひぐらしの記

梅雨と感染、二つの地上戦

五月二十二日(土曜日)、関東地方は気象庁の怠慢ぶりのあらわれでもあるかのように、いまだに「梅雨入り宣言」をみないままである。ところがわが体感では、とっくに梅雨入りを感じている。実際にもきょうの夜明けの空は、またもや小雨まじりのどんよりとした...
ひぐらしの記

ワクチン接種、体験報告

五月二十一日(金曜日)、「ひぐらしの記」の読者にあっては、おそらく先駆者であろうのとかんがみて、わが体験報告を試みています。きのう(五月二十日・木曜日)、私は新型コロナウイルにかかわる一度目のワクチン接種の行動と行為を体験しました。試みてい...
ひぐらしの記

歴史的「記念日」

五月二十日(木曜日)、私は寝惚けてはいない。案外、気象庁の職員が、寝惚けているのかもしれない。なぜなら、梅雨入り宣言を忘れたかのような、梅雨空の夜明けが訪れている。夜間には、小雨が降ったのであろうか。窓ガラスに掛かるカーテンを開いて道路に目...
ひぐらしの記

人生の楽しさは、心優しい人との出会い

五月十九日(水曜日)、現在のデジタル時刻は、1:13です。きょうは、平洋子様から届いたふるさと情報と、恩師・渕上先生(わが小学校1年生と2年生当時のご担任、美しくうら若き頃の旧姓)の近況報告で十分です。わが駄文は書きません。大沢さま、洋子様...
ひぐらしの記

人の世は一喜一憂、いや哀憂

五月十八日(火曜日)、きょうあたり気象庁の梅雨入り宣言かな? と、思えていたきのう(五月十七日・月曜日)の雨はすっかり上がり、見渡す青空から朝日が煌々と輝いている。わが予知は空振りに終わったけれど、嘆くどころかこれ幸いである。だからと言って...
ひぐらしの記

梅雨空模様の夜明け

五月十七日(月曜日)、小雨まじりのどんよりとした梅雨空模様の夜明けが訪れている。空模様から察すれば、関東地方の梅雨入り宣言もまもなくであろう。梅雨には十分に慣れているとはいえ、それでもやはり、梅雨の鬱陶しさには身構えるところがある。しかし、...