早鐘、乱れ打ち

 きのうは「七・五・三」(十一月十五日・月曜日)だった。文章はズル休みした。「七・五・三」にあって文章を休んだのは、間違いなく初体験である。しかも、弁解の余地ないズル休みだった。このところの私は、日課とする道路の掃除さえ、ズル休みがちになっている。これらのことでは、「くわばら。くわばら」と、みずからに早鐘を打たなければならない。こんな危険な状態は、自分自身承知の助である。だから起き立てにあって、なさけなくもこんな文章を書いている。換言すれば私は、モチベーションの低下、すなわち気勢が上がらない状態にある。たぶん現在の私は、不登校に陥る児童や生徒の精神状態さながらであろう。不登校になる人はなんとなく学校へ行きたくない気分に陥り、二・三度休んでいるうちに休み癖がついて、思わぬ長休みになるのであろう。ほかから「やいのやいの」言われても、いっそう反発心が湧き出るであろう。結局、不登校を克服するには、みずからをみずから鼓舞するしかすべはない。まさしく現在のわが状態は、「これ」である。「敵は本能寺にあり」、いや私自身にある。
 私は、きょう(十一月十六日・火曜日)もズル休みを決め込んで、床に就いていた。ところが目覚めた。すると、きのうのズル休みが不登校みたいに長休みになることを恐れた。それを断ち切るためだけの目的で、パソコンを起ち上げた。すなわち、恥も外聞もさらけ出して、自分自身への鼓舞を強いている。他人行儀に優しく叱咤激励などとは言えない、なりふり構わぬ自己への大いなる警鐘である。確かに現在は、気狂い状態と言われることさえ厭(いと)わない心境にある。挙句、ズル休みを断つだけの文章へ成り下がっている。それでもズル休みが習慣にならず、ヨタヨタしながらでも継続にありつければ勿怪(もっけ)の幸いである。この期(ご)に及んで文章の質を望んでは、不登校さながらの爺(じじい)になる。
 現在のデジタル時刻は、長い夜にあって4:23である。私は小学生および中学生を通して、九年間の無欠席(皆勤賞)だった。もちろんこのときの私は、登校するのが目的ではなく、デコボコの砂利道を四十分近くかけて、歩いたり、走ったりしながら、勉強をしに行っていた。はるかに遠い当時が、懐かしく偲ばれる。それに比べると現在のわが心境は、大いに寂しいところにある。
 私の場合「七・五・三」は、わが気分が最も和む日本社会の年中行事である。だからであろうこれまでの私は、この日には切らさず文章を書いてきた。それなのにズル休みで断つとは、みずからにたいし早鐘乱れ打ち状態にある。継続の断絶なのか、それとも寸断なのか、今の私は知るよしない。きょうの文章は気狂い状態ではなく、目覚めどきの単なる「戯(ざ)れ文」であることを願っている。