元横綱・白鵬、親方と解説者デビュー

 現在、開催中の大相撲九州場所(福岡国際センター)は、きのう(十一月二十一日・日曜日)、折り返し点の中日(なかび)を迎えた。中日を終えて無傷の八連勝で勝ち越しを決めたのは、番付どおりに横綱照ノ富士と、大関のひとりである貴景勝の二人だけとなった。千秋楽に向けての優勝争いは、たぶんこの二人だけになりそうである。私は横綱や大関陣がバタバタと倒れる、すなわち荒れる土俵はまったく好まない。それは、番付どおりに強い横綱や大関であってほしいと、願っているからである。
 こんな思いをたずさえて私は、毎場所テレビ観戦を続けている。もとより、私はプロ野球を凌ぐほどの大相撲ファンと、自認している。わが願う強い横綱としては白鵬が応えて、これまで四十五回の優勝を重ねて、偉業を遂げてきた。だから白鵬は、わが好む横綱だった。ところが白鵬は、先場所すなわち秋場所(九月場所)の全勝優勝を打ち止めにして、土俵に別れを告げた。すなわち、白鵬の土俵姿は先場所かぎりで、わが目から消えた。私には寂しさつのる、白鵬の引退宣言だった。
 引退後の白鵬は、間垣親方と名を変えて、親方修業の一歩を踏み出した。実際のところは今場所に初めて親方の姿をさらけ出し、大相撲協会の一員となり役割を務め始めた。テレビカメラに映る元横綱・白鵬の間垣親方の姿は、力士の入退場口に辺りに陣取る場内整備係りだった。もちろん、白鵬にかぎらず、横綱であっても、だれでも一様に通る協会のしきたりだという。そのため、文句は言えないけれど、(なんだかなあ……)と、一抹の寂しさを思えるところはある。しかしながら、白鵬から名を変えた間垣親方自身には、覚悟の引退だったようで、映像で観たかぎりは、悔しさは見えなかった。だから私は、安堵というよりほのぼの感につつまれた。もちろんそれは、テレビカメラに映るマスクを着けた顔面と、声から感じたわが印象だった。
 きのうの私は、とりわけテレビ観戦に釘付けとなっていた。それは間垣親方となった、元横綱・白鵬の大相撲のテレビ解説デビューの日だったためである。そのデビューは、無難というより名解説に終始した。そして、私にかぎらず放映後の世論(大相撲ファン)の評価にもまた、万雷の好評を博していた。白鵬には異国・モンゴル出身に加えて、取り口にやや荒々しさがあると言っては、偉業を押しのけてブーイング(悪評)がつきまとっていた。それゆえに私は、解説デビューの好評に安堵した。稀代の大(名)横綱が引退後にあってまで、バッシングやブーイングの荒らしまみれであっては、大相撲テレビ観戦はまったくの興ざめである。これを逃れてきのうの私は、胸のすく一日だった。
 日本列島のきょうの天候は、大荒れの予報であった。予報に違わず夜明けは大雨である。しかし、間垣親方の解説デビューが好感度で迎えられ、わが気分は悪くない。