戸惑いをおぼえた「東京行」

 きのう(十一月十三日・土曜日)は、次兄宅(東京都国分寺市内)へ向けて、久しぶりに電車に乗った。夜明けのころには強い寒気が訪れていた。そのぶん、出かけるころの大空には、満艦飾に日光が輝いて、またとないほどの初冬の好天気だった。その下でわが気分は、田舎者、お上りさん、はたまた浦島太郎のようだった。
 私は座席に腰を下ろして、車窓を通して移りゆく風景を眺めていた。皆々、初めて見ているような心地だった。それは、風景の変化にともなう驚嘆だった。換言すれば、都会の風景の変化の速さにたいする脅威でもあった。私は、車内の風景にも怯(おび)えていた。すなわち、若い人たちの目立つ中にあっては、もはや私は、過去の異物だ! と、思い知らされていたのである。いや内心、もうこの世には住んではいけないとも、思っていた。このことでは、電車に乗る前から怖気(おじけ)ついていた。その証しには往復共に、遠回りや時間はかかるけれど、座れそうな電車を待ったり、選んだりして乗車した。なぜなら、座っている人たちの前に近づけば、即座に席を譲られることを懸念して、それを回避することにわが意をそそいだのである。
 車窓の風景を眺めながらわが気分は、車内の案山子(かかし)のように無表情に委縮していた。日本社会にあってはコロナ禍の行動の自粛は緩和されたけれど、私の場合この先、外出行動の自粛いや自制は、いっそう強まりそうである。座席の私は、(もう一度だけでも、東京見物したいなあ……)と、思っていた。しかし、電車に乗ることを思えば、この切ない願いさえも果たせそうにない。私はスマホを見ることもなく、車外風景と車内風景を眺めながら、黙然と気迷っていた。車内の人たちは、盛んにスマホに興じていた。私は、通勤で通い慣れた「東京行」に戸惑いをおぼえていた。