遊び心のつもりのズル休みが休み癖となり、現在の私は、再始動不能状態に陥っている。ほとほと、いやいや根っから、私は怠け者である。この体(てい)たらくぶりはだれかれへというより、自分自身に詫びなければならない。それに先立ち、わが怠け心を諫(いさ)めなければならない。ところがこれは建前であり、実際のところは休みの安楽をむさぼり、心地良さにひたっていた。
一方では、罪作り気分に苛(さいな)まれていた。そして現在、この先へのあてどなく、こんな文章を書いている。もちろん、とうてい再始動にはなり得ず、寝起きの戯(ざ)れ文にすぎない。人間、いや私の場合は、単に書き殴りの文章を書くだけであっても、一度休み癖がつけばそれを克服して、再始動を叶えることには困難を極める。わが小器ゆえである。
休みにともなう安楽は、生来三日坊主の私にとっては、もとより心中に棲みつく魔物である。正直言って休み中の私は、身体はまったく傷(いた)まず、精神が病んでいたのであろう。その証しには休みの安楽に加えてこの間、私は玉名蜜柑(熊本県)や有田蜜柑(和歌山県)、はたまた奈良県産や愛知県産の柿を買い込んでは、時の過ぎ行くままにたらふく食べ続けていた。確かに、文章を休んでいる後ろめたさはあったけれど、至福の時に浸り、それをむさぼり続けていたのである。
このところは初冬の好天気が続いている。幸いなるかな!、コロナも収まりかけている。再始動のきっかけは盛りだくさんにある。それでもままならないのは、わが心身にべたついている休み癖である。そしてそれは手軽に安楽にありつけるから、始末に負えないものでもある。