十一月二十一日(日曜日)、現在のデジタル時刻は、日を替えたばかりの「0:32」と刻まれている。これから床に就くのではなく、いや目覚めて二度寝を妨げられて、しかたなく床から抜け出して来たのである。わが人生を一つだけの成句を用いて表現すれば、最もふさわしいのはこれに尽きる。すなわちそれは、「後悔は先に立たず」である。すでに過ぎたことにくよくよして、かぎられた余生の命を憂いで覆うのは、確かに愚の骨頂とは知り過ぎている。それでも、この憂いを払いのけることができないのは、つくづくわが小器ゆえである。
小器をかんがみれば、身のほど知らずの欲得と言えるのかもしれない。なぜなら、九十九折(つづらおり)のごとく曲り曲がってでも、八十一年の人生行路を歩み続けてきたのである。確かに、身のほどをかんがみれば「これで良し」と思わなければ、この先、罰が当たりそうである。しかしながらそう思いきれないのが、わが憂いの根源である。起き立てにあって、こんな馬鹿げたことを書いている。主治医いや精神科医に相談すれば、危険な精神状態の兆候(シグナル)と、診断されそうである。
文章は心象風景で書くものであるから、気分が良ければ意のままにスラスラと書けるところがある。しかし私の場合、そんな状態にはめったにめぐりあえない。挙句、悶々とする精神状態で、なお仕方なく書いている。だから、書き終えれば駄文である。書くまでもないことを書いて打ち切り、床に返り再び二度寝への挑戦を試みる。私自身には、気狂いの自覚症状はない。ところが、傍(はた)から見ればそれこそ、危ない兆候に見えるかもしれない。やはり、「くわばら、くわばら」である。現在、デジタル時刻は「0:52」である。再び、二度寝を妨げられれば、長い夜をどう過ぎようか。悩み尽きない、晩節を汚(けが)したわが人生である。