前田静良

ひぐらしの記

「八十一歳の誕生日」における実感

梅雨明け願望のため、ネット上の人様の記事を読み漁った。それらの中から、この記事に目を留めた。そして、無断拝借した。【関東甲信 まもなく「梅雨明け」カウントダウンへ 週末から猛暑日続出 危険な暑さに】(日本気象協会 本社望月 圭子、2021年...
ひぐらしの記

幾星霜

書けば愚痴こぼしまみれとなる。それを恐れて、このところの私は、文章が書けない。しかし、きょうだけは書かずにおれない心境をたずさえて、起き出して来た。それは一年めぐりにやって来る、格別な日だからである。令和三年(2021年)七月十五日(木曜日...
ひぐらしの記

梅雨明け間近の夜明け

きのうは一日じゅう雨降らずで、きょう(七月十一日・日曜日)もほのかに朝日が照る夜明けが訪れている。現在のデジタル時刻は4:46であり、夜の帳が開き始めている。幸いなるかな! 今朝は、乾ききった道路の清掃が望めそうである。加えてきょうは日曜日...
ひぐらしの記

「冗語・剰語(じょうご)」

「寄る年波には勝てず」、さらには「世の中のざわめき」や「身辺のざわめき」等々に抗しきれず、このところの私はモチベーションの低下に見舞われている。挙句、わが精神の薄弱の証しを曝け出し、頼りない克己心に怯えている。  卑近なところでは、文章を書...
ひぐらしの記

七夕飾り

七夕(七月七日・水曜日)の夜が更けて、日を替えている(七月八日・木曜日)。一時近くに目覚めて、さまざまな妄念にとりつかれ、二時間余悶えて二度寝にありつけない。仕方なく起き出して来た。現在、パソコン上のデジタル時刻は、3:25と刻まれている。...
ひぐらしの記

七夕

午前の予約時間(九時半)の診療では定期検診とあって、想定どおりの作業が行われた。マスクを外し眼鏡までも外した私は、やおら診療椅子に腰を下ろした。傍らのコップの水で、三度ばかり型通りの嗽をして、身を緊(し)めた。作業内容が説明されて、診療椅子...
ひぐらしの記

気狂いはしてません

七月五日(月曜日)。嗚呼、嘆こう、嘆こう! しかも、一日に二度の予約がある。午前の部は九時半、そして午後の部は、二時きっかりである。初めての経験であり、なんだかキツネにつまされた思いつのるばかりである。おそらく、こんな繰り返しでわが人生は、...
ひぐらしの記

「人の命は、一瞬の闇の中にある」

人生は、一寸先は闇の中にある。古来、普(あまね)く諭(さと)されている人生訓である。確かにそうだ。しかし、あまりにも大雑把すぎて、臨場感をともなう悲しみはない。だから私は、起き立てに浮かんだわが刹那のフレーズ(成句)に置き換えている。  命...
ひぐらしの記

宴(うたげ)のあと

七月二日(金曜日)、起き出して来て、窓ガラスに掛かるカーテンを開けた。しばし、窓越しに山の法面に咲く、わが手植えのアジサイを眺めている。嵩高くかつ横に列なり咲いているアジサイは、梅雨の雨に黒ずんで濡れている。晴れの夜明けであれば彩りを違(た...
ひぐらしの記

わが命の現在地

わが普段の買い物にはほぼ定番のコースがある。このコースをきっちり歩けば、おのずから持ち帰ることのできる買い物の嵩(かさ)と重量は、ほぼ限界に到達する。わかっちゃいるけれどほぼ毎度、私はこのコースをたどることを習わしにしている。そして帰途にあ...