七夕(七月七日・水曜日)の夜が更けて、日を替えている(七月八日・木曜日)。一時近くに目覚めて、さまざまな妄念にとりつかれ、二時間余悶えて二度寝にありつけない。仕方なく起き出して来た。現在、パソコン上のデジタル時刻は、3:25と刻まれている。私はありきたりの老人病(加齢病)に加えて、いろんな憂鬱病にとりつかれている。もっとも楽しめるはずの睡眠がままならないようでは、もはやわが人生の喜悦は皆無である。
さて、天上に流れている「天の川」を挟んで、年の一度の彦星様と織姫様の出会いの切なさは、私にはわからない。しかしながら、地上の七夕飾りの切なさは十分にわかる。新型コロナウイルス禍のせいであろうか。六十歳以上の老人が集う最寄りの「今泉さわやかセンター」(鎌倉市)の入り口土間には、二年続けて七夕飾りは立たずじまいだった。そのため今の私は、過去の記憶を新たにしている。それはしばしたたずんで切なく、そしていくらか微笑ましく読み漁った、七夕飾り(色とりどりの短冊)に記された願いごとのいくつかである。「長生きできますように」「嫁に嫌われないように」「認知症にならないように」「介護を受けないで済むように」「餅が喉につかえないように」「初恋の人にめぐり合えますように」「孫に嫌われないように」「孫に小遣いを取られてしまわないように」「美味しいものが食べられなくならないように」「絵葉書が上手くかけますように」「大病を患わないように」などなど、総じてこんな切ない願掛けである。私も似たような文句を書いて吊るしたはずだが、願いごと自体は記憶にない。
きのうのテレビニュースは、いたるところの幼稚園児の七夕飾りの光景を映していた。切なさなど微塵もなく、ただ微笑ましいだけの和んだ七夕飾り光景だった。どうであれ七夕飾りは、一年に一度訪れる老若男女を分かたず、切なくかつ楽しい祭りごとなのであろう。新型コロナウイルス禍にあってセンターにもし七夕飾りが立てば、たぶん切なさ倍増の短冊が吊るされていたであろう。庶民の生活丸写しの七夕飾りは、余興の願掛けとしてははかりしれないものがある。今のわが気持ちを表す短冊には、「二度寝ができますように」、と書きそうである。ほぼ五十分の時間を潰しただけで、夜明けまではまだたっぷりと、悶える時を残している。