わが命の現在地

 わが普段の買い物にはほぼ定番のコースがある。このコースをきっちり歩けば、おのずから持ち帰ることのできる買い物の嵩(かさ)と重量は、ほぼ限界に到達する。わかっちゃいるけれどほぼ毎度、私はこのコースをたどることを習わしにしている。そして帰途にあっては、食を細めている老夫婦の生活なのに、なんでいつもこんなにも買い物があるのだろうと、これまた決まって嘆息する。
 わが買い物のコースは、遠方の大船(鎌倉市)の街中にある。ここへたどり着いたり、逆にここから帰途に就くには、片道二十分ほどめぐる「江ノ電バス」(本社藤沢市)を利用しなければならない。当世はやりの言葉を用いれば、私はだんだんと買い物難民に成り下がりかけている。確かにこのころは、買い物行自体が手に負えない難行苦行になりつつある。まがうことなくわが買い物行は、夜の帳(とばり)間近のたそがれどきにある。
 定番コースは生き延びの中心を成す食材店、すなわち海の幸や山の幸、さらには人工的に製造された食品類を商(あきな)う店舗である。分かり易く、買いまわる店舗をコース順に並べればこうである。先駆けは野菜と果物の店「大船市場」、次にはぶつかれば陳列棚を無茶苦茶にしそうで身を細めて回る駄菓子屋、三番目は「鈴木水産」、そしてしんがりは「西友ストア大船店」である。いずれも安売りを謳う、量販店ばかりである。たまには、高級店めぐりをしたい思いはある。しかしながらわが財布が、これらの店へ誘(いざな)うから、納得の上にも渋々とめぐっている。
 大船駅前始発の帰りのバスの中で私は、後方の二人掛けの座席の一つに腰を下ろした。ホッと座り終えると私は、隣の席を空けるために、膝を上にパンパンに詰めた国防色の大型のリュックを台にして、その上に二つの買い物袋を重ねた。さらには、わが身を窮屈に縮めた。袋の一つは溜め込んでいた持参の大広のレジ袋、一つは布製でまったく重量感の無い、レジ袋の使用を制限するために購入済みの大袋である。
 空けていた隣の席を目に留めて、後続の乗客の一人が軽く私に会釈された。すかさず私は、「空いてます」、と応じた。声出しを控えなければならないマスク越しだから、無言で(空いてます)と、言うべきだったのかもしれない。
 車内の録音済みの透き通る女性の声は、わが下車する停留所「半増坊下」を告げた。買い物行にあっては、私は両耳に集音機を嵌めている。この最大の意図は、レジ係の人と短いあいさつ言葉を交わすためである。薄れゆく会話に抵抗し、買い物どきにおけるわが唯一の楽しみのためである。
 次には、勝手知ったとはいえ、車内アナウンスを聞き逃さないためである。女性の声に呼応し、下車の意思を伝える赤いブザーが点灯した。シメシメこのブザー、下車する人が私だけではないことを示している。それゆえ、わが気持ちに落ち着きをもたらしてくれるシグナルでもある。ソワソワとしながらも私は、下車の態勢を固めた。隣り席の人はわが動作を察知して、これまた空ける態勢を固められつつある。
 停留所が近づいた。私は二つの袋を下ろし、リュックを背負い、袋を両手に分けて、やおら下車の態勢を固めた。運転士は、マイクの声で、「バスが止まってから、お立ちください」、と呼びかけている。このところの車内マナーの、乗客への通達である。バスがエンジンを止めた。私はヨロヨロと立ち上がった。隣り席の中年男性は心得て、すばやく無言で立って、わが道を空けてくださった。わが席は、車内の後方である。前方の座席に座ることが出来れば、車内に設けられている二段のステップを踏むことは免れる。この幸運にありつけるかどうかは、時々の車内の込み具合しだいであり、このときの私は、余儀なく後方の席に座っていた。かつ、二人掛けの奥の方である。前方の人たちの中から、二、三人が降車口に向かっていた。私の前にもひとり、ふたり、降車口へ向かっていた。私はそれらの人たちの最後尾に位置した。だから、運転士に迷惑をかけまいと、気持ちが焦った。ステップを踏み外した。バタバタと大きな音を立てた。転びそうになった。やっと、踏ん張った。車内の目が自分に集中し、「アッ」と、声が響いた。私は体制をととのえて、車内に一礼し下車した。
 わが家の玄関口のブザーを、(押すか、押すまいか)と、迷いながら遠慮がちに押した。腰を傷めている妻が顰(しか)め面(づら)でドアを開けた。「ごめんね。買い物がいっぱいで、鍵を取り出しにくいのよ。バスの中で転んだよ。卵は割れているかもしれないよ。おれ、年取ったのよ!」
「転んだの? 卵が割れるぐらいはいいわよ!」
 卵は十個のうち、四つ割れていた。わが命も割れて、萎(しぼ)んだ。
 梅雨の雨の夜明けである。きょう(七月一日・木曜日)、早い目覚めでたっぷりとある時間にまかせて、長くて切ない文章を書いてしまった。表題は、「わが命の現在地」でよさそうである。