前田静良

ひぐらしの記

秋賛歌

きょう(九月二十六日・日曜日)は、この秋の彼岸の明け日である。自然界は人間界に比べると、文字どおり自然体というか、素直というか、いや嘘を吐かない。昨晩あたりから明らかに、肌身に寒気をおぼえていた。目覚めて起き出して洗面のために蛇口をひねると...
ひぐらしの記

わが余生にまつわる「雑感」

新型コロナウイルスの出現以来世の中は、その収束や終息へ向けて時間軸を基にして動いてきた。この間には東京オリンピックやパラリンピックなどをはじめ、大小さまざまなイベントが予定されていた。ところが、予定されていたイベントの多くはやむなく中止にな...
ひぐらしの記

秋晴れ高く秋風さわやか、わが身悄然

眠気はあるのに脳髄に迷想がこびりついて、目が冴えて二度寝ができない。仕方なく起き出して来た。私は日を替えたばかりの真夜中に居る。きのうの「秋分の日」(九月二十三日・木曜日)にあっては、真夏と紛(まが)う陽射しがふりそそいだ。私は咄嗟にはやり...
ひぐらしの記

「秋分の日」

私の場合、「寄る年波」ということばはもはや死語であり、使えば不謹慎きわまりなく馬鹿呼ばわりされるのが落ちだ。なぜなら私には、加齢という波はとっくに着岸している。知り過ぎていることばながら、あえて辞書調べを試みた。「寄る年波とは、じわじわと寄...
ひぐらしの記

ちょっとだけ、心満たされた出会い

きのう(九月二十一日・火曜日)は「中秋の名月」。わが人生は疾(と)うに黄昏時(たそがれどき)を過ぎて、やがては尽きる真っ暗闇の中にある。望んでももはや、社会貢献は一切なし。人様との会話もほぼなし。日常的に会話にありついているのは、相対する妻...
ひぐらしの記

日中のバスの車中の「一コマ」

私には途轍もなく耳に痛いことばがある。そのことばが厭なため私は、(もう止めよう、もう書きたくない)と、心中で愚痴りながらもようよう、これまで「ひぐらしの記」の継続を叶えてきたのである。このことばに出合うのは、友人や知人のなかでも普段から、飛...
ひぐらしの記

真夜中の夢遊病

「文は孤独」ということばと並列して、「文は人なり」ということばがある。私は双方ともに体現している。目覚めて二度寝に就けず、仕方なく起き出して来た。時刻は日を替えて、まもない。壁時計の針は夜の静寂(しじま)にあっても、音無くめぐっている。これ...
ひぐらしの記

『わが生涯学習』

漢字検定一級に合格したのちには研究員扱いとなり、二級までの指導資格が付与される。私は、平成8年の第3回の検定試験において、漢検受験初体験にもかかわらず、幸いにも1級に合格した。受験は勤務する会社における大阪支店への単身赴任のおり、住まいを構...
ひぐらしの記

シルバーウイーク

突如として、耳慣れない「シルバーウイーク」ということばが現れた。ことばに、確たる意味は添えられていない。言うなれば曖昧模糊として、私には意味が不確かである。だから私は、自分勝手に二つの意味づけをしている。一つは、きょうとあすの普段の週末二日...
ひぐらしの記

彼岸花と「ふるさと便」

このところは私的なことを長い文章で綴り続けて、切なさに加えていたく、心身の疲労をおぼえています。そのためきょうは、意図して短い文章でお茶を濁すつもりです。だからと言って、素っ気なく書くものではありません。いや正直なところ、忍びない気持ちに耐...