四月四日(月曜日)、夜明けは小嵐と雨降りである。寝起きのわが身体は、ブルブル震えている。身体の震えは、地震発生に慄いてではなく、ずばり季節狂いの寒さのせいである。このところあまねく日本列島は、寒の戻りを筆頭に、花曇り、花冷え、花嵐、桜雨、そしてしんがりには「菜種梅雨」などがひかえて、この時期特有の憎たらしく季節用語のオンパレードにある。もちろん地方・地域によって、これらの現象は時期や感覚を異にする。そのため、おおむねという、言葉を付加せざるを得ないところはある。どれもこれもがせっかくの桜の花をはじめとする、多くの花咲く好季節にあって、歓迎されようのない僻み根性丸出しのお邪魔虫たちである。
確かに、菜種梅雨まで加えて、目くじらを立てることには、かなりの語弊すなわち言葉間違いのところはある。しかしながら、あえて菜種梅雨まで持ち出ししたくなるような、このところの雨の日の多さである。そのためこのところの私は、きわめて憂鬱気分に見舞われている。知りすぎている言葉だけれど、憎さ百倍の怨念をたずさえて、手元の電子辞書を開いた。
【菜種梅雨】:三月下旬から四月にかけて、菜の花が咲く頃に降り続く長雨。
幸いにもいまだ、本物の菜種梅雨には遭遇していない。ところが、このところのわが気分は、菜種梅雨がもたらす憂鬱気分をはるかに超えて、日々憂鬱気分まみれにある。その元凶は、わがファンとする阪神タイガースである。実際には、開幕戦より続いている勝ち星なしの九連敗にある。恐ろしいことにこの憂鬱気分は、タイガースの連敗打ち止めまで続くこととなる。そして、今なお打ち止めの目途立たずにある。
こんな憂鬱気分晴らしのうってつけには、望郷と人の優しさにしがみつくにかぎる。亡きフクミ義姉の優しさを受け継ぐ姪っ子は、すでに手作りの高菜漬けを段ボールいっぱい、送ってくれた。続いて宅配されてきそうなのは、持ち山のタケノコ掘りに勤しむ、甥っ子からのふるさと便・タケノコである。こちらは亡きわが長姉の優しさを引き継ぐ、ふるさと便である。もちろん、双方共に指を咥えてあてにはしていない。しかし、あてにしていいほどに毎年宅配される「ふるさと便・定期便」である。
書き殴りにこんなことを書いて私は、今朝の憂鬱気分を癒している。ふるさと便は、確かに憂鬱気分の癒し効果覿面である。夜明けの雨は小嵐まじりに、まるで菜種梅雨の走りの如く、びしゃびしゃと音を立てて、降り続いている。