知りすぎている同音異義の言葉の辞書調べを試みた。それらの言葉は、「特長と特徴」である。特長:特にすぐれたところ。特徴:他と異なって特別に目立つしるし。なぜいまさら、だれもが知りすぎている二つの言葉の辞書調べをしたかと言えば、こう書こうとしたからである。「走り書きの特徴は、文脈の乱れを生じることである。書き殴りの特徴は、だらだらと長い文になることである。」
あらためてご常連様各位に教えを乞うたり、指摘を被ったりするまでもなく、わが日々の実体験ゆえに、まったく間違いないところである。どちらも文章を綴る私にとっては、甲乙なしに恥ずべきことである。しかしながらあえて甲乙をつければ、文脈が乱れがちになる走り書きが、イの一番に恥ずべきことである。「」(かっこ閉じ)の文章には、もとより「特長」を用いることはできない。なぜなら、文章自体が誤りになるからである。一方、「特徴」を用いれば、必ずしも誤りではなく、いや案外、適語と言えそうである。それでも、わが本意を伝えるにはまだすっきりしないところがある。それゆえに私は、脳裏に代替語を浮かべてみた。しかし、数々とかさまざまとか、とは書けない。なぜなら浮かんだのは、やっとこさたった一つにすぎないからである。
実際の言葉は、「悪因」である。もちろん、この言葉がぴったしカンカンではなく、煮え切らない半煮え気分である。言うなれば、わが語彙力の限界の証しでもある。「特徴」に変えて「悪因」を用いて、先の文章の再掲を試みてみる。「走り書きの悪因は、文脈の乱れを生じることである。書き殴りの悪因は、だらだらと長い文になることである。」わが生涯学習は、ほとほと切ない。いや、はた迷惑と、言えそうである。
わが文章の悪癖は、硬く、かつまったく面白味に欠けることである。なさけないけれどなんだかこの文章は、わが本意に適って、ぴったしカンカンである。わが最も嫌う文脈の乱れもなさそうである。たった一行の短文にさえにも乱れるようでは、もとから文章など書かないほうがましである。
起き立てがしらに、自省の文章を書いてしまった。もちろん、走り書き文である。だから、文脈の乱れが気になるところである。憂いの気分癒しに春霞のどかにたなびく、夜明けの大空をしばし眺めている。しかし、憂いの気分は癒されるどころか、いっそう深まるばかりである。文章を綴ることは、脳足りんの私にはもとより、千鳥足をともなう重荷である。