前田静良

ひぐらしの記

晩秋、つれづれ

十月十九日(火曜日)、目に見えて夜明けが遅くなってきた。すなわち、晩秋にさしかかり、長い夜は加速度を強めている。もちろん、季節の正常周期ゆえに歓迎こそすれ、ためらいはまったくない。自然界および人間界共に、異常状態こそ恐れるべきものである。 ...
ひぐらしの記

寒気到来、兄追懐

十月十八日(月曜日)。一気に寒くなりました。わが身に堪えて、ひたすら耐えています。心中にめぐるのは、「四十九日」(十月七日)の日に、お墓に納められた生前のふるさとの長兄の姿です。生身でないため兄は、寒くはないだろうけれど、わが身にはことさら...
ひぐらしの記

実りの秋、ふるさと原風景

実りの秋にあって、脳裏に浮かぶふるさと原風景は、稲刈りから籾摺(もみず)りに至るまでの穫り入れ全風景である。この間にあって子どもの私は、すべてにかかわり家事労働の一役を任されていた。猫の手も借りたいほどのわが家にあっては、子どもとて私は十分...
ひぐらしの記

冠の秋、実りの秋

現在、自然界は四季にあって秋の季節である。私の場合、気候的には最も体に馴染んで快感をおぼえている。たぶん、たくさんの人たちもまた、秋を最も好まれるであろう。確かに、「天高く馬肥ゆる」秋は、凌ぎ易さに加えて文字どおり、食欲モリモリの秋でもある...
ひぐらしの記

魚心あれば水心

十月十五日(金曜日)、時節は秋の夜長の走りにある。目覚めて、寝床の中でスマホ片手に仰向いて、二つの慣用句のおさらいを試みた。今さらおさらいをするまでもない、普段多用されるきわめて容易な日常語である。言うなれば、秋の夜長のいっときの時間潰しに...
ひぐらしの記

待ち望む、胸のすく秋晴れ

きのう(十月十三日・水曜日)は、これまでの季節外れの暖かさを浮かべて、異常気象と書いた。もちろん、気象庁による公式なものではなく、わが体感に基づく当てずっぽうの考察にすぎないものである。当てずっぽうは半面、嘘っぱちに近似(きんじ)している。...
ひぐらしの記

異常と異変

十月十三日(水曜日)、気候の良い十月も半ばに差し掛かる。これまで、気温は寒気をまったくおぼえない日が続いている。ところが、夜明け前にあって現在は、ちょっぴり肌身に寒気を感じている。しかし、十月半ばにあっては、異常とも言える高気温が続いてきた...
ひぐらしの記

グルグルめぐる雑念

いつものことだけれど一旦かかりだすと、歯医者通いは長丁場になる。来週(十月十九日・火曜日)にもまた、予約が入れられた。今回の場合は三か月検診ゆえに、気楽な通院ではある。それでも、来週を含めば三度の通院となる。三度目で打ち止めとなるのかどうか...
ひぐらしの記

タイガース、奮戦

十月十日(日曜日)、今シーズン初めて、プロ野球のことを書いている。残りの試合数は、どの球団も十試合余りである。こんななか、わがファンとする阪神タイガースの優勝はほぼなく、二位確定で今シーズンを終えそうである。前半戦の好成績を見るかぎり、優勝...
ひぐらしの記

生存のかなしさ

十月九日(土曜日)、余震にびくびくしながら一夜を過ごした。一晩だけど、幸い余震は免れた。しかしこの先には、なおビクビクが続いて行く。人間は生きているかぎり、常に何かにつけてびくびくしている。人間の生存にからみつく業(ごう)、すなわち、むなし...