進行中のゴールデンウイークは、きょうは「憲法記念日」(五月三日・火曜日)にある。あしたの「みどりの日」(五月四日・水曜日)、あさっての「こどもの日」(五月五日・木曜日)を挟んで週末の日曜日までは、この間の一日(金曜日)に有給休暇を利用すれば、勤務の身の人たちにはまだかなりの連続休日が残されている。ゴールデンウイークと、言われるゆえんである。
しかしながら勤務の身とて、必ずしもだれもが連続休日にありつけるとはかぎらない。なぜなら人の世は、だれかれなくみんなの支えによって、成り立っているからである。すなわち、みんなが一斉に休日をむさぼることは許されない。たとえ、まわりばんこであっても、必ずだれかの支えが必要である。もとより、自営を生業とする身の人には、ゴールデンウイーク自体が高嶺の花、いや空望みのところがある。
とっくに職業を離れている私の場合は、「ゴールデン年中」であるため、限られたゴールデンウイークには、ピンのご利益も、キリの実感もない。もちろん、人様のゴールデンウイークに付き纏う旅心は、私には端から遠ざけられている。だからと言って、今や叶わぬ望みにあっては、妬み心もまたすっからかんである。
ゴールデンウイークなど用無しに、わが普段のごく小さな旅心は、大船(鎌倉市)の街中までの買い物行動にあやかっている。このとき、ちょっぴり旅心にありつけるのは、余儀なく片道二十分あまり、定期路線バスに乗るからである。なんだかなさけないけれど、バスへの乗車が子どもの頃に味わった旅心を、ほんのちょっぴり蘇らせてくれるのである。きのうのテレビニュースは、日本人の外出行動が、新型コロナウイルス流行の前にたいし、全国レベルでは八割近くまで回復(戻った)したと、伝えていた。沖縄県だけには、100%と表示されていた。
きのうの私は、大船へ買い物に出かけた。すると、この報道を聞く前に私は、買い回りする大船の街における、人出の多さに驚いていたのである。大船の街には、あえて物見遊山に出かけたくなるような、人様を惹きつける呼び物は何もない。それゆえに人出の多くは、私同様に買い物回りであったろう。確かにこのところ、コロナがもたらしている行動障壁は、少しずつ崩れかけているようではある。しかし、遠出の行楽気分は、なお殺がれているのであろう。私にすればいまや他人事とは言え、それでも、陸、海、空の織り成す遠出風景を早く眺めてみたいものではある。
憲法記念日の夜明けは、のどかに朝日が輝く、絶好の行楽日和である。だけど私には、人様の行楽を羨む気持ちはさらさらない。