ゴールデンウイーク、「こどもの日」

 「こどもの日」(五月五日・木曜日)。同時に、「立夏」が訪れた。気象庁はきのう、早や沖縄地方の梅雨入り宣言をした。歳月のめぐりと、季節の移り変わりは、まるで鉄棒競技における大車輪さながらである。確かに、現在地(八十一歳)から、はるかに遠い過去を偲んでも、もはや様にならない。年号だけでも、昭和、平成、そして令和の時代へと、変遷している。このなかで私は、六十四年の昭和時代の中では、初期とも言える昭和十五年(1940年)の生誕である。世の中における同年代の有名人は、日を替えて鬼籍入りが報じられてくる。まったく見知らぬ人様の訃報だけど、素知らぬ顔もできない。いやいや、これらの報道を耳にするたびに他人事とは思えず、私はかなりの気持ちの動転を免れない。時の流れや加齢にはあらがえない。だとしたら私には、時の過ぎ行くままに身を任す、勇気が欲しいところである。しかし、もとより私には、時の流れに端然と身を任す勇気は、チラチラもない。その挙句、いくら吐いてもどうしようもない嘆息を、わざわざの如くに始終吐いている。わがお里、いや確たる小器の証しである。
 きょうもまた、駄弁や駄文は要しない。子どもの頃と、「こどもの日」は、偲びたくなるわが人生の原点である。つれて、良くも悪くも様々な原風景が心中に甦る。私は、それらを懐かしく偲んでいる。案外、時の流れも良いものである。郷愁、望郷、そして往時を偲べるのは、「生きとし生きけるもの」の中にあって、人間のみが授かる特権と言えそうである。きのうに続いて書き殴り、妻が待つ階下へ急ぐ慌ただしさにある。きょうもまた、朝日はのどかな行楽日和を恵んでいる。メソメソするのは大損である。