ひぐらしの記 早鐘、乱れ打ち きのうは「七・五・三」(十一月十五日・月曜日)だった。文章はズル休みした。「七・五・三」にあって文章を休んだのは、間違いなく初体験である。しかも、弁解の余地ないズル休みだった。このところの私は、日課とする道路の掃除さえ、ズル休みがちになって... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 戸惑いをおぼえた「東京行」 きのう(十一月十三日・土曜日)は、次兄宅(東京都国分寺市内)へ向けて、久しぶりに電車に乗った。夜明けのころには強い寒気が訪れていた。そのぶん、出かけるころの大空には、満艦飾に日光が輝いて、またとないほどの初冬の好天気だった。その下でわが気分... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 心身震える、夜明け前 人生晩年の日常生活は、こんなものだろうと、諦めきってはいる。しかし、悟りきってはいない。こんなものとは、息苦しい日常生活である。きょう(十一月十三日・土曜日)は、早立ちで東京へ向かう。コロナ禍のせいで自粛を強いられていたため、久しぶりの次兄... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 とてもつらい、私事 きのう(十一月十一日・木曜日)は、義父と義母の合わせ法事(回忌)に出向いた。共に、永別の日から長い歳月が過ぎていた。それぞれを偲ぶ和みはあった。一方では、悲しさがぶり返した。菩提寺は鎌倉市に連なる逗子市に隣接する、神奈川県三浦郡葉山町に存在... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 罪つくり、「雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい」 十一月十日(水曜日)、きょうもまた書くまでもないことを書いている。もはや、病と言えそうである。わが文章はマイナス思考の塊であり、もとより自分自身の気分は殺がれ、さらにはご常連の人たちの意気をも阻喪している。このことでは人様に悪さをしているこ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 悪夢だけが旺盛 長い夜にあって、就寝から目覚めにいたるまで、夢見に晒され続けていた。もちろん、年老いて見る夢は、子どものころに見ていた夢とは、まったく異質のものである。夢見には目覚めて気分の良いものと、悪いものとに大別される。あるいは、みずからの人生行路に... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「立冬」 一年の季節のめぐりは、春・夏・秋・冬と分けられる。四区分は、総じて四季と称される。それぞれには経過に応じて、おおむね「初・中・晩」という、言葉(文字)が添えられる。おおむねと記したのは「初」にかえて、「早」という言葉が用いられるゆえである。... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「晩秋、賛歌」 私は目覚めると起き出してきて、執筆時間に急かされて、成り行き的かつ走り書きで文章を書いている。このことは自認する悪癖、すなわち恥晒しの悪習である。この禍(わざわい)は、覿面(てきめん)に文章に現れる。おのずから、代り映えのしない似たり寄った... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「太陽」の威光と、自然崇拝 十一月五日(金曜日)、目覚めてみると、すでに夜が明けていた。長い夜にあって、久方ぶりに二度寝にありつけていた。このことでは快眠をむさぼり、目覚めの気分はすこぶる付きの良好状態である。せっかくのこの気分にケチをつけているのは、執筆時間の切迫に... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「惜別、晩秋」 十一月四日(木曜日)、現在はきのうの「文化の日」(十一月三日・水曜日)が明けての夜明け前にある。いや、長い夜にはあっては、いまだに真夜中のたたずまいさながらである(4:13)。 きのうは気象庁の過去データにたがわず自然界は、人間界に長閑(... ひぐらしの記前田静良