十一月四日(木曜日)、現在はきのうの「文化の日」(十一月三日・水曜日)が明けての夜明け前にある。いや、長い夜にはあっては、いまだに真夜中のたたずまいさながらである(4:13)。
きのうは気象庁の過去データにたがわず自然界は、人間界に長閑(のどか)な秋晴れの好天気を恵んだ。気候は、晩秋の真打(しんうち)の穏やかさにある。まさしく、晩秋がもたらす掉尾(ちょうび)の一振とも思える恩恵である。もとより、私にかぎらず人々にとっては、身体的には一年じゅうで最も凌ぎ易い頃と言えるであろう。ところが、二兎(にと)は叶えられない。すなわち、好季節にあっても精神的には、もの悲しさやもの寂しさがつきまとう。あえて繰り返せば晩秋は、身体的には過ごし易さの半面、精神的には寂寥感(せきりょうかん)にとりつかれる。結局、季節のめぐりは、心身共に好都合などあり得ない。そうであってもやはり晩秋は、ピン(最上等)の好季節である。
ところが、それを妬(ねた)んでに打ち止めでもするかのようにカレンダーにあっては、今週末日(十一月七日・日曜日)には「立冬」と付されている。いよいよ、わが心身共に嫌う、冬の季節のお出ましである。ただし、冬の季節にあって一つだけ報(むく)われるのは、寒気に慄(おのの)いたり、身震いしたりしていると、寂寥感にとりつかれる気分は遠のいている。どちらがいいかと自問すればもとより、寂寥感はあってもやはり、比べようもなく晩秋を好むところである。そのためきょうの文章は、あからさまに「惜別、晩秋」の思いである。確かに、身体はちっとも寒くない。しかし、わが心中には茫々(ぼうぼう)と寂寥感が渦巻いている。