罪つくり、「雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい」

 十一月十日(水曜日)、きょうもまた書くまでもないことを書いている。もはや、病と言えそうである。わが文章はマイナス思考の塊であり、もとより自分自身の気分は殺がれ、さらにはご常連の人たちの意気をも阻喪している。このことでは人様に悪さをしていることだから、常々かたじけない思いつのるばかりである。悪さを断つには、書かないことに尽きる。こんな思いをたずさえて、パソコンを起ち上げる。実際にはパソコンが無ければにっちもさっちもいかないわが日常なのに、パソコンを恨めしく思うところ多々である。もちろん、パソコンを前にして心中では、明るいネタ探しをめぐらしている。ところが、制限時間の中にあっては、いっこうに浮かんでこない。すると、執筆時間に急かされて書き殴りを始めている。おのずから、似たり寄ったりの文章を書く羽目となる。このときの私は、つくづくつらい心境にある。挙句、「もう書けない、もう書きたくない」という潮時にさいなまれている。
 これまでの私はこんな心境をたずさえ、こんな文章を書いて、恥を晒して何度となく吐露してきたのである。まさしく、わが生来の錆(さび)である。きょうもまた、暗いネタを書き添える。このころの私は、就寝中に大腿部の激痛に見舞われている。明るいネタはなにもない。無理矢理探して添えれば、ふるさと・熊本産みかんは旨いなあー……という、餓鬼の感慨だけである。間断なく頬張るふるさと産みかんは、確かなわが命綱である。
 長い夜、まだ夜が明けない。執筆時間はたっぷりあるけれど、書く気を殺がれて、尻切れトンボのままにおしまいである。いやいや書くことは、もはや人様への罪つくりである。「雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい」。