ひぐらしの記 「春眠暁を覚えず」 四月九日(金曜日)、「春眠暁(あかつき)を覚えず」、寝坊してしまった。起き出して、焦燥感まみれになっている。こんな心理状態では、この先の文章は書けない。なんだかんだと理由をつけて、このところの私は、ズル休みに逃げ込んでいる。ウグイスの朝鳴き... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 無償のタクシー券につのる思い 新型コロナウイルスの問題は、まさしく魔界のもたらす出来事であり、加害者無き被害者現象の様相を呈しています。それゆえに人々は感染恐怖に慄(おのの)き、防御対策に梃子摺(てこず)っています。もちろん、日本政府や各地方自治体および医療関係者の対策... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 この先、書けない 四月六日(火曜日)、寒のぶり返しに遭って気分が萎えている。人間は苦しむために生まれている。現在のわが心境である。 このところの私は、ウグイスの鳴き声と、庭中に飛来するコジュケイへの米粒のばらまきに癒されている。人の出会いの季節は、桜散る季... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 タケノコ、礼賛 予期しない悪夢による不快感には、腹立たしさがつのるばかりである。一方、私自身がしでかす不快感には、腹立たしさはお蔵入りである。それでも、浮かぶ四字熟語を用いれば、わがしでかす不快感は、自業自得(じごうじとく)とは言えそうである。 学童のだ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 悪夢 スヤスヤと眠れれば人間は、それだけでじゅうぶん幸福である。ところが私の場合、安眠に恵まれることなど滅多にない。それゆえに安眠にありついたときには、冒頭の感慨がメラメラと湧いてくる。 このところの私は、就寝中にあって悪夢に魘されている。挙句... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 自己慰安 太公望(釣師)は、水中や海中に釣り糸(多くは天蚕糸・テグス)を垂らして、水面や海面に浮く「浮き」を凝視し、引くあるいは当たりという、手ごたえを一心不乱に待っている。まさしく、青天白日の心境である。もちろん、文章を書くわが心境は、太公望とはま... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 無駄の効用 春の季節は足早にめぐりながら、三月を過去ページへと移して、月を替えて四月一日(木曜日)の夜明けが訪れている。日本社会の習わしで表現すれば、春三月・別れの儀式多い月から、春四月・出会いの儀式の多い月へのバトンタッチとなる。並(な)べて三月と四... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 暇つぶしとも言えない「切ない懺悔(ざんげ)」 定年退職後におけるあり余る自由時間の暇つぶしのための、余儀ない六十(歳)の手習いだったから、仕方ないところとは、常々承知していた。そのうえ、生来のわが凡愚が重なり、さまざまに難行苦行を強いられてきた。それでも私は、定年退職を間近にひかえて以... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 春の一日 三月二十九日(月曜日)、あえて書くまでもない、わがきょうの行動予定を記している。きょうは「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科における通院日である。ほぼ半年前にされている予約時間は、午前九時である。ところが、主治医の診察前に採血など、データ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「ふるさと便」バトンリレー 三月二十八日(日曜日)、寂寥感つのる日々が、早回しで流れている。なんだかなあ……私には日数の短い二月より、三月のほうが早い日めくりに感じられている。ところがこの先は月・日を替えて、なおいっそうそう感じることとなろう。無事安寧の生存を強請(ね... ひぐらしの記前田静良