月替わり初日(十月一日・金曜日)には台風十六号に見舞われた。きのう(十月二日・土曜日)は余波なく一過となり、風雨は遠のいて普段の夜明けを迎えた。私は閉め切っていた雨戸のすべて開けて、いつもの夜明けの状態にした。次には、気に懸かっていた家周りの点検に向かった。被害はたったの一つだけ。すでにほぼ水平に倒れかかっていた柚子の木は、無残にもダメを押されて土に着いていた。(これくらいで済んだのか)、わが胸は安堵した。
気を良くして、わが清掃区域と決めている周回道路へ急いだ。ところが、ここは目を覆いたくなるほどのありさまだった。道路には山から振り落とされた木々の枝葉が、てんでんばらばらに落ち敷いていたのである。小枝とも言えない、朽ちかけの大枝が何本も、あちこちに倒れていた。道路は、まだ乾ききってはいない。しかし、放って置くには忍びない。物置から三種の神器(箒、塵取り、半透明袋)を持ち出し、渋々掃除をせざるを得なかった。道路に立つと、わが区域の先には隣家の奥様のお姿があった。私に先駆けるお姿だった。挨拶を交わし合うと二人の共同作業となり、掃除は想定外に捗(はかど)り、二時間余の想定時間は、一時間ほどだけで済んだ。汚らしかった道路は(顔をつけてもいいかな?……)と思うほどに、綺麗に仕上がった。私は何度も言葉をかけて、奥様に感謝した。散歩まわりの人たちに先駆ける、二人の共同作業だった。綺麗になった道路は、たちまちわが気分を全天候型にした。
きょう(十月三日・日曜日)の夜明けの空には、ほのかに朝日が差し始めている。台風が去って訪れた、のどかな朝ぼらけである。いよいよ、きょうあたりから実りの秋、さらには遅れてきたさまざまな冠(かんむり)の秋を楽しめるのかもしれない。これまで、冠の秋に通せんぼをしていた新型コロナウイルスの感染力は、どんでん返しに殺がれている。鬼のいぬ間に、我慢に我慢を強いられてきた日常を取り戻したいものだ。なぜなら新型コロナウイルスは、なおこの先第六波が懸念されている。そうであれば束の間かもしれない。だとすれば余計、今朝の朝ぼらけにはのどかな秋の先導役と願うところである。ただ惜しむらくは、かなりの出遅れである。それでも秋万歳の気分は、いや増してつのっている。もとより秋は、さわやかな気分を味わえなければ、寒気の走りに慄(おのの)くばかりである。せっかくの好季節にあって、つまらない秋だけは、もうこりごりである。