気の揉める秋

 月替わり初日にあってきのう(十月一日・金曜日)は、一階と二階の雨戸のすべてを一日じゅう閉めきり、私は一階の茶の間暮らしに終始した。この間、明かりは茶の間だけに明々と点いていた。これは台風十六号に備えて、とりわけ山から窓ガラスへ飛んで来る枝葉を恐れてのものだった。このたびの台風は、主に伊豆諸島あたりで暴れていた。天気の良い日に裏山の「天園ハイキングコース」へ上れば、相模湾を隔てて水平線遠くに、伊豆大島あたりを見晴るかすことができる。それゆえに伊豆諸島を襲う台風の場合は、いつもほかと比べて鎌倉地方には大きな脅威をもたらしている。このたびも例外にならず、雨戸に打ちつける暴風雨の音は、ほぼ一日じゅうわが身に脅威をもたらしていた。
 きのうは、まさしく台風に怯える一日だった。こんな日にあっても妻は、娘のマイカーによる送迎で、予約済みの腰骨の治療に、はるばる久里浜(横須賀市)へ出かけた。妻は、朝の十時前に出かけて夕方の六時過ぎに帰ってきた。帰りの車には娘の連れ合いの運転で、中学校帰りの孫のあおばも同乗していた。この間の私は、ほぼ茶の間のソファに座りきりだった。茶の間のテレビは主に、台風状況、自民党の党人事、眞子様の結婚のこと、さらには定例の料理番組などの繰り返しと垂れ流しばかりであった。眞子様の場合は、結婚確定のニュースであった。日本国民こぞって慶事のはずなのに、私にはかなりの不安がつのっていた。
 見飽きたテレビはリモコン片手に消した。すると、手持無沙汰どころかもはや、何もすることがない。仕方なくわが意思でできる行為は、二つに限られていた。一つはつまみ食いとは言えない、かたわらに置く駄菓子の品を替えてのひっきりなしの食い漁りである。一つは、両膝に分厚い国語辞典を置いて、語彙のおさらいを試みていた。このときのわが心中には、こんな切ない思いがうずくまり、おびやかし続けていた。(妻が逝って、われひとりの生活になれば、死ぬまでこんな日にだけになるのか……。そうなれば余生など、おれは要らない!)。
 きのうの私は、とんでもない予行練習していたのである。妻が送られて帰り、私はホッとした。いつになく、ニコニコ顔で出迎えた。暴風雨は、かなり弱まっていた。半面、わが気分は、持ち直していた。いまだ雨戸は閉めきったままである。夜明けて台風一過の様子と被害の有無の点検は、この文章の投稿後であり、まだ分からずじまいである。デジタル時刻は、5:46と刻まれている。この秋、この先どんな日暮らしになるであろうかと、気の揉める十月の訪れである。