ひぐらしの記 憲法記念日 朝日の輝きさやかに、「憲法記念日」(五月三日・月曜日)の夜明けが訪れている。しかしながらわが気分は、晴れない。いや、晴れようがない。就寝時にあって私は、頭部の一部に痛みと違和感をおぼえていた。脳の病の前触れかなと? と、いくらか驚いた。とこ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 初夏と大型連休、しかし…… 月が替わって五月一日(土曜日)、もう晩春とは言えなく、明らかに初夏の季節である。朝日の輝きには「晩」という暗さは微塵もなく、明るくさわやかな夜明けが訪れている。窓ガラスに垂れるカーテンを開ければ、目先の山は緑色に映えている。 春から夏へと... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 大型連休、「生きています」 四月三十日(金曜日)、目覚めてすぐに起き出して来た。現在のデジタル時刻は、5:32と表示されている。しかし、慌てる気分は遠のいている。それは、開き直りをみずからに課しているためである。きのう、一日じゅう降り続けていた雨は止んで、朝日が明るく... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 寝起きの戯言(ざれごと) 横文字やきらびやかな言葉の多用は、確かに多能や多才の証しにはなろう。しかしながら半面、頼りない才能の見せびらかしにも思えてくる。実際、時と場合においては、緊張感をともなわない実の無い言葉になり下がる。たとえ簡易な日常語であっても、分かり易い... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 わが疲れ癒しの処方箋 猫の額にも満たない庭中にあってこのところの私は、百円ショップで買い求めたプラ製の腰掛に座る日が続いている。この主目的は、イタチごっことも思える、雑草取りのためである。ところが、主目的変じて腰掛に座れば逆に、私は雑草に憂鬱気分を癒されている。... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 途中経過の悲しみ これまでの私は、意識して新型コロナウイルスにかかわることは、できるだけ書くまいと、肝に銘じてきた。なぜなら、このことにかかわることを書き連ねれば、気分の晴れることはない。 人類社会は、今なお収束の見えない新型コロナウイルスとの戦いのさ中に... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 延長戦続く、新型コロナウイルスとの闘い どこまで続く、泥濘(ぬかるみ)ぞ! 人間社会の穏やかな日常が、始末に負えない新型コロナウイルスのせいで、日々砕けてゆく。東京都、京都府、大阪府、兵庫県の四自治体は、きょう(四月二十五日・日曜日)から、三回目となる「緊急事態宣言」の開始となる... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 夜明けは、いつもの好天気 四月二十四日(土曜日)、今朝もまた遅い起き出しである。いつもであれば文尾に書いている朝日の模様を、きょうは冒頭に書いてみる。似たり寄ったりの文章に、姑息な手段で変化をもたらすためである。 夜明けの空は、すでに朝日に明るく染まり、大気と地上... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「生きるために食べている」 四月二十三日(金曜日)、こんな書き出しはどうでもいいことだけれど、今朝の私は「おさんどん」を先に済まして、階段を上がってきた。このことではこのところ続いていた寝坊助による心の焦りはなく、ゆったりとした気分には、ほんのりと余裕さえ感じている。... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「目覚めの、嗚呼、無情」 確かに、寝坊助が常態化している。四月二十二日(木曜日)、これまたこのところ定番化している表現である。それはこうである。すでに、朝日が煌々と輝いている。すなわち、夜明けはとうに過ぎている。今さらながらに私は、目覚めて寝床の中で、心中にこんなこ... ひぐらしの記前田静良