ささやかとは言えない、わが願い

 季節は寒気を強めたり緩めたりしながら晩秋から初冬へとめぐり、この先なおいっそう寒気を強めてゆく。自然界現象だから人間は、これには無駄な抵抗はしたくない。いや、人間にはどうにもならない。だから人間は古来、季節に応じた暮らし向きを工夫し、できるだけ平穏な日常を望んで、実際にも営んできた。このことは、万物の霊長と崇められる人間の人間たるゆえんでもある。当てずっぽうに柄でもないことを浮かべて書いたけれど、まったく嘘っぱちではなくいくらかは当たっているであろう。
 私の場合、季節のめぐりに対応するものの筆頭には、衣替えすなわち着衣の変化がある。具体的にはきのう(十月二十一日・木曜日)から私は、上半身の肌着では半袖にかえて長袖にし、下半身の肌着では薄手のステテコから厚手の布製にかえた。しかしながらこれらは、寒気を防ぐためにはまだ序の口にすぎない。この先は寒気の強まりに応じて衣を重ね、わが身を冬防寒重装備で固めてゆくこととなる。確かに、ささやかだけれど、しかし、浅はかとは言えない、例年繰り返してきたわが知恵である。
 幸いなるかなこのところ、新型コロナウイルスの勢いは衰退傾向にある。これにともなって今月末あたりを境にして、さまざまなところでこれまでの規制が緩和されそうである。もちろんこのことは、願ったり叶ったりである。しかしながら、私自身のことでかんがみれば、いまだ大きな変化とは言えない。なぜなら、私の場合はもとより、酒宴、旅、外出行動など、埒外の日常にある。だから、これが解禁されても私には、大きな実利はない。しかし、精神的箍(たが)は外れて、気分の落ち着きは大いにある。
 こんな私が最も願っているのは、マスク不要の生活である。この先、マスク不要の日常が訪れるのであろうか。このことには懸念と同時に、常々戦々恐々とするばかりである。私の場合、実際のところマスク着用の恐怖は、難聴ゆえに両耳には集音機、そのうえ、マスク、メガネの三段重ねの不便さに梃子摺っていることである。そのため、マスク不要のゴングが打ち鳴らされたときこそ、私は喜悦まみれとなる。恐怖を重ねればわが余生にあって、ゴングは鳴るであろうか。ささやかとは言えない願いである。金輪際とは言えなくも早いとこ、私はマスク用無しの冬防寒重装備を願っている。私は「虫が良すぎる」のであろうか。