つらい。ああ、つらい!。この先の外出にはいっそうみじめな姿をさらけ出して、なおつらくなりそうである。これに輪をかけてほとほとつらいのは、わが外出行為が善良な人の心中をとことん悩ますことである。本当のところわが身に沁みて、つらく思えるものである。
実際の現象では公共の乗り物(電車やバスなど)の車内において、善徳の人たちから席を譲られるおりに、居たたまれない気持ちになる。言うなれば人様に気を遣(つか)わせる、わが迷惑行為である。迷惑行為とは、ずばりわが外出行動である。そしてそれは、善良な人様の心中を脅(おびや)かすものだけに、いっそう身に沁みてつらいことでもある。
私は買い物のたびにバスの車内において、人様へご迷惑をおかけしないかと、ひたすら怯(おび)えている。このときのわが心中は、人様には見えないけれど、ほとほとつらい状態にある。もちろん私には、人様のご好意を当てにしたり、あからさまに席の譲りうけをおねだりする、ずるがしこさは毛頭ない。いや私は、意識してできるだけ着席の人から離れて、立つことを心掛けている。それでもすばやく立たれて、席を譲り着席を促される場合がある。すると、咄嗟につらい心境に苛(さいな)まれる。先ずは、目配せ、首を傾(かし)げ、それに手振りを交えて、無言による感謝の意を表し、丁寧な拒否である。あるときは人様のご好意に背くのを恐れて、何度も頭を下げて挙句、「すみません」あるいは「ありがとうございます」のことばを添えて、素直に着席にあずかる場合がある。だけど傍目(はため)には、当てにしたずうずうしい行為とみてとれているであろう。しかし、このときのわが心中には、申し訳ない気分が渦巻いて、安堵とは言えないただならない状態にある。この先、わが身体の老化現象は加速度を増して、いっそう深まるばかりである。おのずから外出行動には、なおいっそう慄(おのの)くこととなる。感謝の気持ちこのうえないことだけれど、偶然ではなく必然的に、席を譲られることが多くなりそうである。このことを嫌って私は、これまた必然的に外出行動をひかえることになりそうである。
きょう(十月二十五日・月曜日)の文章は、大沢さまご投稿の『奇妙な出来事』に呼応し、それにちなむわが心境の吐露である。世の中はさまざまなところで、格差が露わになっている。いや、人間自体、善い人、悪い人と二分されて、著しい格差を露呈している。実際のところ日本社会は、弱者の保護を逆さまにとり、「悪徳の栄え」の傾向にある。わが懸念するところがある。善徳が罵(ののし)られ悪徳がのさばるのは、文字どおり本末転倒の人の世の嘆かわしさである。日本社会は、きわめて住み難(にく)くなり始めている。「正直者が馬鹿を見る」、そんな世の中になってはいけない。つらい、老婆心である。「隗(かい)より始めよ」。わがもの(席)ほしさの行為が人様に見受けられるとしたら、まずはそれを戒(いまし)めなければならない。加齢とは、人間のつらい現象である。