前田静良

ひぐらしの記

新たな歯医者通い、つれづれ

六月二十九日(火曜日)、夜明けの梅雨空は、地上に小ぶりの雨を落としている。窓ガラスには雨粒が電燈に照らされて、一面にべったりと無地をなしている。窓は開けないままに眼下の道路へ目をやると、一基の外灯に照らされて道路が濡れている。雨足の跳ね返り...
ひぐらしの記

居座り続ける「嗚呼、無情」

いずれ、『ひぐらしの記』のページに残るわが文章の特徴はこうである。すなわちそれは、書き置きや時間的へだたりのない、起き立てのわが気持ちや状態の吐露にある。確かに、私日記スタイルだけれど、一日の出来事を後で記す日記とは、かなり異なるところがあ...
ひぐらしの記

なさけなくも、無題

六月二十七日(日曜日)、目覚めて長い時間寝床に寝そべり、飽きて仕方なく起き出したて来た。さまざまな雑念や妄想、そして総ぐるみのプレッシャーに負けて、文章が書けない。もとより、書く気になれない。つらい。いや、ほとほと不甲斐ない。私はなんで、こ...
ひぐらしの記

さずかったご教示(再録)

六月二十六日(土曜日)、現在の私は、わが恥などかなぐり捨てて、真摯な気持ちをたずさえて書いている。実際のところはきのう(六月二十五日・金曜日)の、高橋弘樹様の掲示板上のご投稿文にたいし、あらため御礼と感謝の意をたずさえている。同時に、一読の...
ひぐらしの記

身勝手に「悪しからず」

六月二十五日(金曜日)、夢遊病者に変りはてて、寝返りを繰り返しているうちに、寝坊していました。起き出してきてこれから、慌てふためいて朝の主婦業に入ります。それゆえに、休みます。またしても、かたじけない気持ちにとらわれています。  きょうは悪...
ひぐらしの記

身のほどの人生

私には絶えず文章のネタとなる、得意とする分野はなに一つない。加えて無から有を生ずる、文字どおり創作文を創(つく)ったり、紡(つむ)いだりする能力など、願っても夢まぼろしであり、現実にはありつけない。だから余計に日々の私は、この二つに憧憬と羨...
ひぐらしの記

沖縄県、戦没者「慰霊の日」

六月二十三日(水曜日)、きょうは毎年めぐって来る日本史上における哀しい日である。すなわち、日本国民であれば必ず、一年に一度は記憶を新たにしなければならない、沖縄県において営まれる戦没者追悼の『慰霊の日』である。追悼は文字どおり哀しみ表す、「...
ひぐらしの記

無気力病の祟り

六月二十二日(火曜日)、現在デジタル時刻は、4:04と刻まれている。一時近くに目覚めて二度寝が出来ず、三時間余にわたり左右に寝返りを繰り返し、悶々としていた。これに耐えられず起き出して来たけれど、夜明けまではまだまだ長い時が残されている。文...
ひぐらしの記

夏至

六月二十一日(月曜日)。デジタル時刻は3:00を記している。このまま黙然とパソコンを前にして椅子にもたれていれば、まもなく白々と夜の帳(とばり)が開き始めるであろう。歳月のめぐりの速さ(感)に打ちのめされている。短い夜の静寂(しじま)にあっ...
ひぐらしの記

虫けらに慄(おのの)く、わが日常

わが肉体は自分自身、驚くほどに毒素に弱い質(たち)である。ムカデに刺された薬指は、今なお聖護院大根みたいに付け根のところが太く膨れて、赤みを帯びて固いままである。それだけのみならず、痛みはずっとひかぬままである。あらためて私は、このことに恐...