二月一日

 今や寝床は歩んで来たわが人生行路を振り返る、悲喜交々の回り舞台と化しています。おのずから寝床は、安眠を貪る安らぎの場所ではとうにないです。寝床の中では、神社仏閣の境内で走馬灯が回るかのように、いろんなそしてさまざまな過去劇が洪水の如く、わが胸中に現れます。もちろんそれらの多くは、喜劇すなわち楽天劇ではなく、あらためて憂鬱感や悲しさに沈む、文字どおりの悲劇ばかりです。
 高橋弘樹様はじめ親愛なる人たちからたまわった、わが身に余る大お世辞を真に受けて、パソコンを買い替えました。わが身辺の困難時、とりわけ出費多端なおりをも顧みず、なけなしの金をはたきました。すなわち、この先、寝床の中でめぐる過去劇を綴る、手立てにありついています。学童の頃の「綴り方教室」になぞらえれば、文房具すなわち鉛筆と消しゴム、加えて鉛筆削りの代用にしていた小刀『肥後守(ひごのかみ)』が出そろったことになります。鉛筆は折れれば取り換えるか、その先を削れば再び書けます。ところが一方、パソコンは一旦トラブれば万事休すとなり、悔しさと銭失いの気分横溢に見舞われます。
 月替わり、二月一日にあって、寝起きにこんな幼稚な文章を書いてみました。たぶん、脳髄が緩む、春が近いせいでしょう。