茶の間で、窓ガラスから射し込む暖かい陽ざしを背中いっぱいに受けて私は、まさしく季節の春と、この世の春のコラボレーション(共感)に浸りきっていた。心身には生きている悦びが満ちあふれ、同時に快い眠気をもよおし夢心地に陥っていた。ふあふあとした夢心地にあって、こんなことを浮かべていた。人間界にあって自然界の恵みは、有象無象それこそ無限大にある。確かに、食材や生薬などどれがなくても、たちまち人の息の根が止まりそうなものばかりである。山岳および海洋、山崩れや津波の恐怖はあってもこれまた、山河自然の恩恵ははかり知れない。しかしながらやはり、自然界の恵みにあってはこれらをはるかに超えて、陽ざしすなわち太陽光線こそ特等の優れものとだと、確信した。
きのうの「立春」(二月四日・金曜日)にあって、日向ぼっこをむさぼっているおりに浮かんでいた、わが愚かなるしかし愉快な感慨である。