太陽光線、礼賛

 昼と夜、昼間と夜間、朝方と夕方、そして昼前と昼下がり。浮かぶままに書いたけれど、もちろん一日(二十四時間)の区分は、なおさまざまに言い表される。おのずからこれらのすべてに、太陽光線がかかわっている。大雑把に言えば太陽光線の有る無し、あるいは強弱である。
 きのう書いた表題「日向ぼっこ」には、太陽光線の恩恵をつらつらと、書いた。春立つ日にあって私は、まさしく暖かい太陽光線の恩恵に浸りきっていたからである。ところが昨夜、すなわち夜間にあって太陽光線は遠のいて、私は暗闇の中に寝床を敷いて、眠りに就いていた。人工の熱源をなすエアコンは、壊れたままにほったらかしにしている。だから、今や大型ごみ同然の無用の長物となり、悔恨きわまる銭失いの姿をさらけ出している。あえて点けっぱなしにして、頭上の蛍光灯に頼っても、もちろん熱源の足しにはまったくならない。こんなみじめなわが生活事情にあって昨夜は、この冬一番の寒さに見舞われたのである。すると、ひなたぼっこのときとは真逆に、太陽光線のありがたさと恩恵を再び知る夜となった。
 夜明け前にあって、寝起きのわが身体は、今なお、ブルブル、ガタガタと、震えている。表題はきのうの続編をなして、「太陽光線、礼賛」で、いいだろう。日長になり、ほのかに、朝日が射しはじめている。太陽光線のありがたさが身に沁みる。