真夜中の迷い文

 眠いのに、ああー、眠れない。仕方なく、起き出してきた。十二月八日(水曜日)、長い夜にあっては真夜中とも言える、1:33、と刻まれている。目覚めて寝床の中で、こんなことをめぐらしていた。頭脳は凡庸(ぼんよう)、顔は醜面(しゅうめん)、体躯は寸胴(ずんどう)、ふりがなの要はないけれど、あえてふった。わが生まれつきの内外形である。生まれつきの欠点に悩むのは、それこそ愚の骨頂の大損である。だから私は、こんな生まれつきには、意識して悩まない。一方、後天のさまざまな悔いごとを浮かべていると、悩みは尽きることなく湧いてくる。本当のところはこれとて、人生終焉間際にあっては、どうなることでもない。だからこれまた、輪をかけて大損である。
 確かに、一生、牢獄暮らしの人を思えば、悩むことでもないはずだ。いや、比べようによっては、わが身は幸福の範疇に入るであろう。なぜなら、八十一歳にあってもわが身体はいたって健康であり、精神状態とてどうにか文章が書けている。それでも悩みが尽きないのは欲張りなのか、それとも人間だれしもに具(そな)わる業(ごう)なのか。いやはや私は、身の程をわきまえない欲張りなのであろう。
 こんな愚かごとを書き終えて、再び寝床へトンボ返ってみる。二度寝にありつけるはずはない。しかし、再びパソコンに向かわずに済めばそれは、なお悶えているか、寝入っているかの証しではある。確かに、現在のわが精神は、夢遊病者の状態にある。しかし、主治医に精神病の診断は受けていない。だから、自己診断は真夜中のさ迷いである。こんな身も蓋もない文章など、書かなければよかったのかもしれない。それでも、十数分間の気分休めにはなったようである。わが身勝手を、かたじけなく、思うところである。