ひぐらしの記 真夜中の夢遊病 「文は孤独」ということばと並列して、「文は人なり」ということばがある。私は双方ともに体現している。目覚めて二度寝に就けず、仕方なく起き出して来た。時刻は日を替えて、まもない。壁時計の針は夜の静寂(しじま)にあっても、音無くめぐっている。これ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 『わが生涯学習』 漢字検定一級に合格したのちには研究員扱いとなり、二級までの指導資格が付与される。私は、平成8年の第3回の検定試験において、漢検受験初体験にもかかわらず、幸いにも1級に合格した。受験は勤務する会社における大阪支店への単身赴任のおり、住まいを構... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 シルバーウイーク 突如として、耳慣れない「シルバーウイーク」ということばが現れた。ことばに、確たる意味は添えられていない。言うなれば曖昧模糊として、私には意味が不確かである。だから私は、自分勝手に二つの意味づけをしている。一つは、きょうとあすの普段の週末二日... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 彼岸花と「ふるさと便」 このところは私的なことを長い文章で綴り続けて、切なさに加えていたく、心身の疲労をおぼえています。そのためきょうは、意図して短い文章でお茶を濁すつもりです。だからと言って、素っ気なく書くものではありません。いや正直なところ、忍びない気持ちに耐... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 償えない「四歳半のころのわがしくじり」 来月の九月末日付けの「六十歳・定年退職」の決まりの前に、私は先月(七月十五日)その年齢に達した。平成十二年八月十五日の早暁(そうぎょう)、壁時計の針に目をやると、五時十五分をさしている。机上のパソコンを前にして、ぼんやりと椅子にもたれている... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 物事、人生の「二様」 もし仮に寿命(命の期限)が無ければ、人はかぎりなく老醜(ろうしゅう)をさらけ出すであろう。このことでは、寿命や生涯(命の果て)を嘆くことはないのかもしれない。いや、惜しまれて尽きる命こそ、文字どおり寿(ことほ)ぐべき天寿であろう。私にはこん... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 二人の恩人は、神様 JR東海道線大船駅・駅ビル「ルミネ」(神奈川県鎌倉市)の中には、六階に「Anii」という書店がある。この書店は大船駅周辺にある三軒の書店のなかでは、駅ビルの中という至便に恵まれて、集客力がずば抜けている。この書店には買うあてどなくとも、私は... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 愛唱歌(哀唱歌) 音程を外しわが生涯において双璧を成し、歌い続けてきた愛唱歌を口ずさんでいる。『誰か故郷を想わざる』(歌:霧島昇 西條八十作詞・古賀政男作曲。わが生誕年・昭和十五年の発表曲)。花摘む野辺に 日は落ちて みんなで肩を 組みながら 唄をうたった ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 六十歳の朝 ふるさとは七月盆である。平成十五年七月十五日の起床時刻は、枕時計の針が午前四時三十五分をさしていた。鼻炎症状にとりつかれて就寝時の私は、勤務する会社製品である『スカイナー鼻炎用カプセル』の一カプセルを服んだ。すぐに、風邪薬特有の誘眠作用が顕... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ふるさとごころ しょっちゅう、心の中に「ふるさとごころ」を浮かべていれば人は、罪など犯さないであろう。田園風景、「内田川」の流れ、里山を代表する「相良山」は、起きて寝るまで一日じゅう、意識することもなくわが家の庭先から眺めていた。確かな、わが家特等の借景だ... ひぐらしの記前田静良