ひぐらしの記 日本列島、花だより きのうの寝起きにあっては、無理やり浮かべたネタをだらだらと、長く書いた。きょう(三月二十八日・月曜日)の寝起きにあっては、目覚めて二度寝にありつけず、皮肉にも現在、脳髄は休眠状態にある。もちろんこれではネタは浮かばず、おのずから短い文章さえ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「八百万の神」にあって、私は「疫病神」 三月二十七日(日曜日)、いつものことだけれど寝起きにあってのわが思考は、てんでんばらばらである。ネタ不足は、今や極限態にある。それを映して心中にはこんなこと、いやどうでもいいことが浮かんでいる。身も蓋もないけれどそれを文章にして、私はネタ不... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ああー、童心、ああー、青春 三月二十五日(金曜日)、いくらか寒の戻りをともなって、花曇りの夜明けが訪れている。いよいよ三月の日時は、残り少なくなってきた。これまでどうやら、三月はエンストなしに駄文を連ねてきた。しかしながら、ガタガタゴトゴトゆえに、残り日にあっても突然... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「太陽の恵み」 皮肉にも彼岸の中日(春分の日)を挟んで春は遠のき、真冬並みの寒気に見舞われて、わが身体はブルブルと震え続けていた。きょう(三月二十四日・木曜日)の夜明けにあって春は、ようやく元へ戻り、大空から空中や地上へ、見渡すかぎりにのどかな朝日をそそい... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 寒の戻りと節電要請 三月二十三日(水曜日)、夜明け前。「寒いなあー」。春の恩恵を堪能していたら、飛んだとばっちりを受けている。その一つは、真冬並みへの寒の戻りである。自然界の変事ゆえに抵抗できずに、寒さに耐えて泣き寝入りするしか能はない。もう一つも自然界の織り... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 鳥、懺悔、と、愛玩鳥 山からわが家の庭中に飛んで来る鳥たちは、小鳥ではシジュウカラ、メジロが、一日に何度かの常連であり、子どもの頃に見慣れていたスズメは来ない。それゆえ私には、スズメは今や絶滅危惧の恐れのある小鳥に成り下がっている。もとよりスズメは、山に棲みつく... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「春分の日」 「春日遅遅」、「春風駘蕩」、「柳緑花紅」、「百花斉放」、「百花繚乱」、「桜花爛漫」、「春眠暁を覚えず」などなど、春の訪れを悦んだり、楽しんだりする適当な四字熟語や成句は数えきれないほど、いや私の場合は覚えきれないほどにたくさんある。もちろん... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 詫び、謝辞は尻切れトンボ 三月十九日(土曜日)、きのうの真冬並みの氷雨をともなう寒気は遠のいて、穏やかに朝日が輝き始めている。雨は上がり、残っている雨の証しは、窓ガラスに今なお張り付いている無数の雨粒と、ほぼ平行に垂れた雨筋の幾筋である。季節は、まさしく「春彼岸」の... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 恐ろしさ、「地震、地震、地震、地震」 「巨人、大鵬、卵焼き」。こちらは、必ずしも不変ではない。「地震、雷、火事、親父」。どちらかと言えばこちらは、不変である。どちらかという条件を付したのは、親父のところが人さまざまに、置き換わるからである。 確かにこのところは、個人感情とは別に... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 絶えず、脅かされる「命」 睡眠中に地震に襲われた。「助けてくれー」、と叫んでも、神仏は助けるはずもない。身を縮めて、揺れの収まりを待った。命の鼓動を確かめてみる。平常に動いている。八十一歳まで生き延びてきたことは、途轍もなく幸運・果報者なのかもしれない。ただ、その実... ひぐらしの記前田静良