鳥、懺悔、と、愛玩鳥

 山からわが家の庭中に飛んで来る鳥たちは、小鳥ではシジュウカラ、メジロが、一日に何度かの常連であり、子どもの頃に見慣れていたスズメは来ない。それゆえ私には、スズメは今や絶滅危惧の恐れのある小鳥に成り下がっている。もとよりスズメは、山に棲みつく小鳥ではなく、田園や河川敷育ちなのであろうかと、思う。子どもの頃には一年じゅう、あんなに馴染みのあるスズメだったのに、ところがそれらに対する愛情ある知識はまったくなかった。いやそれどころか私は、家事手伝いではスズメを追っ払う役割を担っていた。時には畦道にバッタリ(手作りの罠)を掛けては捕り、毛を毟り、焼いて、「旨い、美味い」と言って、ムシャムシャ食べた。だから、どこからでもいい、スズメが群れて飛んで来れば、ひれ伏して謝りたいものだ。さらに私は、わが主食の白米を惜しみなく庭中に放り、深くこうべを垂れて、懺悔と罪滅ぼしをするつもりでいる。ところが、私の恐ろしさをDNAに持つスズメたちは、今なお恐れているのか、まったく飛んで来ない。いや案外、老いてみすぼらしいわが姿は、スズメには「山田の案山子」に、見えているのかもしれない。今なお憎たらしいというより、今やわが切ない愛情をそそげないことには、はなはだ残念無念である。
 中型の鳥で飛んで来るのは、ヒヨドリ(鵯)だけである。中型と大型の中間を成すもので、飛んで来るのはコジュケイだけである。どちらも山を塒(ねぐら)とする、野生すなわち山の鳥である。その証しに子どもの頃の私は、双方の生け捕りのためには、奥深い山の中に「罠」を掛けていた。そして、運良く掛かっていると、落ちている枯れ枝を拾い上げ巻きつけて肩に担いだり、片手に下げたりして、わが家へ走った。わが家に戻ると、「延え込み」(川魚捕りの仕掛け)に、ウナギが掛かっていたときのように、母に見せびらかした。そして、父と一緒に裏戸近くで毛を毟り、枯れた杉の葉を拾い集めては、燃やして焼いた。ヒヨドリは当時もそう呼んでいたけれど、コジュケイは「朝鮮雉(キジ)」と、呼んでいた。それがコジュケイという名と知ったのは、あな! 恥ずかしや、ごく最近の学びである。そんなこんなで私の場合は、スズメ同様にヒヨドリとコジュケイにも、罪償いをしなければならない罪作りがある。
 ところが妻は、ヒヨドリにだけには阿修羅のごとき面相で、窓ガラスを開けるや否や、憎さ百倍のふるまいをするのである。「コラ!」と、声をあげたり、さらには近くに置く「麻姑の手」を手に取り振りかざし、追っ払うのである。私は「ヒヨドリも、追っぱらわなくていいよ。来てもいいじゃないか。おれは、罪償いのをしたいのよ」と、一声かける。しかし、妻は聞き耳を持たず、すかさず追っぱらいを実行する。
 妻の場合は、ヒヨドリが椿の花の蜜を吸うメジロを追い立てる光景に、不断から腹の中が煮え返っているのである。だから、形相を変えた妻の行為は、もはや私には止めようがない。確かに、ヒヨドリさえ除けば、飛んで来る鳥たちのへの妻の優しさは、私をはるかに凌ぐものがある。この頃ではそれは、コジュケイに対する優しさが一番あふれている。茶の間の窓ガラスを通して庭中に下り来るコジュケイの姿を目にすると、リハビリちゅうにもかかわらず妻は、ソファからヨロヨロ立ち上がり、優しさの行動開始である。「危ないから、やめとけ! また、転ぶよ」
 これまた、妻はわが声には聞き耳を持たずに、窓ガラスを開けては実践躬行態勢に入る。そして、もう「餌」などとは呼べない、わが主食を成す白米をほどこすのである。買い置きのコメは、ふるさとから購入済みのもったいない今年度産である。その米を妻は、足場を成すコンクリート上に、惜しげもなくぽろぽろと、いや満遍なく落としている。馴染みになった三羽のコジュケイは、今やニワトリ代わりのわが家の家禽である。惜しむところは、時を告げる「早起き鳥」には成れないくらいで、健気にわが老夫婦の日常の癒し役を務めている。大切なコメが日々減るのさえ惜しくなく思えているのは、もはや愛玩鳥を超えて、コジュケイがわが家族の一員を成しているのかな? と、思うところがあるからと、言えそうである。
 罪を作った私にすれば、ヒヨドリにもそうしたい思い山々である。しかし、ヒヨドリだけには妻との不協和音が鳴り響いて、いっこうにやまない。確かにヒヨドリは、漢字の成り立ちは、文字どおり「卑しい鳥」すなわち、「鵯(ひよどり)」である。そうであれば私は、妻を「非情」と、罵(ののし)ってはいけない。起き立の長い文章の書き殴りには、ほとほと疲れるものがある。そして、今のところ、表題が浮かばない。