「春分の日」

 「春日遅遅」、「春風駘蕩」、「柳緑花紅」、「百花斉放」、「百花繚乱」、「桜花爛漫」、「春眠暁を覚えず」などなど、春の訪れを悦んだり、楽しんだりする適当な四字熟語や成句は数えきれないほど、いや私の場合は覚えきれないほどにたくさんある。もちろん春に限り、「春に嵐」、「花冷え」、「寒の戻り」などなどと、これまた覚えきれないほどにたくさんの、つらさや恨めしさつのる言葉がある。季節を称えたり、反面憎んだりする言葉の多さは、春夏秋冬の四季にあっては、春が最も飛びぬけていると、言えそうである。もちろん、蒙昧な私の、当たるも八卦当たらぬも八卦にすぎない。こんなこむずかしいことはやめにして、春の季節の決め手はズバリ、きょうの「春分の日」(三月二十一日・月曜日、祝祭日)と、言えそうである。もちろん、カレンダー上に明確に記されている、季節の変わり日である。
 半年ごとに記されている中で春は「春分の日」、そして秋は「秋分の日」である。こんな幼稚なことを書いて、「おまえは恥ずかしくないのか!」と、自問すれば、恥ずかしいどころか、自答はとことん愉快である。それほどに春分の日とは、言葉のうえでも心象的にも、穏やかな響きがある。これに次ぐのはやはり、「秋分の日」という、のどかな響きである。お釈迦様はやはり知恵ある仏様であり、ちゃっかりと双方に「彼岸」と名付けられて、身勝手にこの世を濁世(じょくせ)とか穢土(えど)と説かれ、そしてあの世を極楽とか浄土と、決めつけられている。
 「春分の日」は七日ある彼岸にあっては、文字どおり中日(なかび)の「中日(ちゅうにち)」である。「暑さ寒さも彼岸まで」、まったく寒気の緩んだ「春彼岸の中日」(春分の日)の夜明けが、のどかに訪れている。ありえないけれど仮に、朝日に色を付ければ、芽吹き始めの萌黄色でいいだろう。私は「バカじゃなかろか!」。春はあけぼの、「春分の日」の夜明けののどかさに酔って、気狂いしているのかもしれない。