三月二十五日(金曜日)、いくらか寒の戻りをともなって、花曇りの夜明けが訪れている。いよいよ三月の日時は、残り少なくなってきた。これまでどうやら、三月はエンストなしに駄文を連ねてきた。しかしながら、ガタガタゴトゴトゆえに、残り日にあっても突然、エンストを食らうであろう。それは、仕方ないことでもある。なぜならわが文章は、常に生煮えならぬ、ネタ不足を自認するところがある。
わが無能力を棚に上げて弁解気味に言えばそれは、寝起きにあってかつ、朝御飯支度前の制限時間にせっつかれて、ネタ探しをすることなく、書き殴り始めるからである。本当のところは、こんな嘘っぱちなど書きたくはない。もちろん、わがお里が知れるからである。実際には無能力の祟りを食らっているにすぎない。このことこそ、確かにまぎれもなく自認しているところである。きょうの文章は、偶然拾った過去ネタに鑢(やすり)をかけて、ごく短く書くつもりでいる。
さて、合否を分ける受験シーズンは、悲喜交々の光景を映し出してほぼ終了した。学び舎にあって次に訪れるのは二つの式典、すなわち前は卒業式、そして後は入学式である。これまた、それぞれが悲喜交々の学び舎光景である。そしてまず、この時期にあっては、あちらこちらの学び舎がほぼ卒業式風景一色に染まる。かつての広大な「松竹大船撮影所」が閉ざされた跡地には現在、「鎌倉女子大」、「鎌倉芸術館」、「イトーヨーカドー大船店」、そして「BOOK OFF」などが、犇(ひし)めき合って同居している。それぞれの借地なのか、それとも購入済みの所有地なのか? もちろん私は知るよしない。人様の財産にたいして、妬(ねた)ましく下種の勘繰りをするのは野暮でもある。
先日のイトーヨーカドー大船店での買い物のおりに、私は鎌倉女子大の校門前に屯(たむろ)する、女子学生の集団に遭遇した。チラホラ、新調と思えるスーツを着た学生がいたけれど、多くの学生は、ピカピカの羽織袴の姿だった。その所だけは、まさしく花咲く桃源郷の華やかさだった。老い身の私には、眩(まぶ)しすぎるほどに煌(きら)めいていた。しばし佇んで、指を咥(くわ)えて眺めていたい気分だった。しかし気が留めて、コソ泥のごとくに逃げ足を速めて、イトーヨーカドーへ入った。それでも、わが心中には童心と青春時代が快く甦っていた。心を鎮めて、バニラソフトクリームを注文し、ゆっくり舐め尽くし、やおら立ち上がり、買い物行動は開始した。
入学式はいつなのかな? こんどは華やかさ二の次である。しかし、初々しい姿に出遭えば気分良く、またバニラソフトクリームを舐めるであろう。せっかく、いやつかの間の童心や青春時代の甦りに恵まれて、恥を忍んで身を竦(すく)めるのは愚の骨頂である。制限時間が切れて、待ったなしの行動に立ち上がった。書き殴り特有に、わが意に反し、駄文をとめどなく書きすぎたかな! 花曇りは、花日和に変わり始めている。