ひぐらしの記 もとより秋は……寂寞 とりわけ今年の秋は、寂しい気分で過ぎています。ふるさとが遠くならないよう例年のごとく、甥っ子にふるさと産新米の送付依頼をしました。新米の味は、去年までとは異なるでしょうか……。 ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 戦いは余生へ続きそう…だったら悲憤慷慨 九月三十日(木曜日)、九月最終日のトピックスは、新型コロナウイルスにかかわる緊急事態宣言等の解除と言えそうである。しかしながらこれで、新型コロナウイルスから解放されたわけではない。このことで恐れていることがある。それはわが余生が安穏(あんの... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 異国少年、横綱「白鵬」引退、引用文 62キロの少年がつかんだ「運」と「夢」 孤独と闘い 白鵬引退』(9/27・月曜日、19:48配信 毎日新聞)。歴代最多45回の幕内優勝を誇る大相撲の横綱・白鵬(36)=宮城野部屋=が現役を退く決意を固めた。2001年春場所での初土俵から20... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 交情 わが掲げてきた生涯学習は、友人・知人さらには声無き声の人様の激励と厚情に支えられて、身に余るたくさんの実を結びました。ひたすら、御礼を申し上げるしだいです。彼岸が過ぎて寒さに向かうにあたり、「もう止めてもいいかな?……」と、思念をめぐらして... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 秋賛歌 きょう(九月二十六日・日曜日)は、この秋の彼岸の明け日である。自然界は人間界に比べると、文字どおり自然体というか、素直というか、いや嘘を吐かない。昨晩あたりから明らかに、肌身に寒気をおぼえていた。目覚めて起き出して洗面のために蛇口をひねると... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 わが余生にまつわる「雑感」 新型コロナウイルスの出現以来世の中は、その収束や終息へ向けて時間軸を基にして動いてきた。この間には東京オリンピックやパラリンピックなどをはじめ、大小さまざまなイベントが予定されていた。ところが、予定されていたイベントの多くはやむなく中止にな... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 秋晴れ高く秋風さわやか、わが身悄然 眠気はあるのに脳髄に迷想がこびりついて、目が冴えて二度寝ができない。仕方なく起き出して来た。私は日を替えたばかりの真夜中に居る。きのうの「秋分の日」(九月二十三日・木曜日)にあっては、真夏と紛(まが)う陽射しがふりそそいだ。私は咄嗟にはやり... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「秋分の日」 私の場合、「寄る年波」ということばはもはや死語であり、使えば不謹慎きわまりなく馬鹿呼ばわりされるのが落ちだ。なぜなら私には、加齢という波はとっくに着岸している。知り過ぎていることばながら、あえて辞書調べを試みた。「寄る年波とは、じわじわと寄... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ちょっとだけ、心満たされた出会い きのう(九月二十一日・火曜日)は「中秋の名月」。わが人生は疾(と)うに黄昏時(たそがれどき)を過ぎて、やがては尽きる真っ暗闇の中にある。望んでももはや、社会貢献は一切なし。人様との会話もほぼなし。日常的に会話にありついているのは、相対する妻... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 日中のバスの車中の「一コマ」 私には途轍もなく耳に痛いことばがある。そのことばが厭なため私は、(もう止めよう、もう書きたくない)と、心中で愚痴りながらもようよう、これまで「ひぐらしの記」の継続を叶えてきたのである。このことばに出合うのは、友人や知人のなかでも普段から、飛... ひぐらしの記前田静良