ひぐらしの記

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連載『自分史・私』、16日目

父に初期の高血圧症状があらわれたのは、近くのクヌギ山の間伐に出かけていた日のことだった。不断の父は、すぐに高鼾(たかいびき)が出るほどに寝入りが早かった。働き尽くめできた者特有に父も昼寝が大好きで、「10分ほど寝るからね」と言っては、寝場所...
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連載『自分史・私』、15日目

いつも、母屋の戸口元に吊るされている、色褪せて使い古しの野良着は、父の働き盛りの晴れ着である。野良着は紺無地の狩衣風の「半切り」である。手許の電子辞書を開いて確かめた。「甚兵衛羽織」(じんべえはおり)と言うのかな。ところどころは擦り切れて、...
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連載『自分史・私』、14日目

(私の心中の父は、死人ではない)。様々な思い出が、「生きた姿」でよみがえり増幅する。挙句、わが自分史は、父の思い出で紙幅が埋め尽くされる。それはまた、箆棒な幸運である。私は、自分自身の「墓地」は買っていない。「前田家累代之墓」はふるさとにあ...
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連載『自分史・私』、13日目

年の瀬、昭和35年12月30日、私は八百弘商店の店先で、顔馴染みの郵便配達員から一通の電報を受け取った。兄たちは車で配達に出かけるが、免許を持たない私だけはいつも、店頭で接客に明け暮れていた。だから、郵便物など外部からの届け物はほぼ、私が受...
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連載『自分史・私』、12日目

私は中央大学だけを2学部受けた。法学部は落ちたけれど、商学部は受かった。大学の中庭に掲示される合格者名簿は、二兄と並んで見遣った。この頃の私たちは、そののちの父には危篤状態は訪れず、病臥が続いていると聞いていた。受験を終えると兄たちは、「一...
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連載『自分史・私』、11日目

この文章は記録や資料などにはすがることなく、浮かぶ記憶のままに書き殴りで書いている。本音のところは早く書き終えて、楽になりたいだけである。言い訳がましいことを書いたけれど、自分自身、記憶がこんがらがっているから書き添えたものである。 八百弘...
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連載『自分史・私』、10日目

父と母の言葉の裏に私は、降ってわいた大学受験を温かく見守り、応援していることを感じた。それに報いるためにも私は、(何がなんでも合格するんだ!)、という決意を固めた。 父が最初の危篤に陥ったのは、昭和34年の1月末の頃だった。父は家族、嫁いで...
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連載『自分史・私』、9日目

二兄は、「八百弘商店」開店の第一報を東京からふるさとへ送った。「決して、親には心配を掛けません。これからは食べ物関係の商売なら、食いっぱくれることはないと考えて、三人で八百屋を始めました」 手紙が届いた日、涙をためてかたわらで不安そうに手紙...
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連載『自分史・私』、8日目

家族はあっと驚いて、働き場所のあてどなくも二兄は突然、内田村のわが家から単身(19歳)で、はるかかなたの東京へ飛び立った。上京後の二兄は、二か所ほど働き場所を変えたと言う。そののちは、発足したばかりの「警察予備隊」(のち保安隊、現在自衛隊)...
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連載『自分史・私』、7日目

内田村は熊本の県北部にあり、福岡と大分とに県境を分ける熊本県側に存在する。三国山とか国見山とか名のついた連山には、峠道が入り組んでいる。遠峯と里山に囲まれた内田村は盆地を成して、細切れの段々畑と狭隘な田園風景を見せている。村人の暮らしは農産...