連載『自分史・私』、8日目

 家族はあっと驚いて、働き場所のあてどなくも二兄は突然、内田村のわが家から単身(19歳)で、はるかかなたの東京へ飛び立った。上京後の二兄は、二か所ほど働き場所を変えたと言う。そののちは、発足したばかりの「警察予備隊」(のち保安隊、現在自衛隊)に合格して入隊した。そして、入隊当初から「2年間と決めていた」と言う、意志どおりに除隊した。除隊後の二兄は、東京都八王子市にあった八百屋の住み込み店員となった。
 そののちの二兄は昭和31年、25歳で独立して、東京都国分寺市で八百屋を開いた。このおり、二人の弟が二兄に呼応し駆けつけた。そのひとりの三兄は、入隊していた(入隊は保安隊)自衛隊を除隊して、北海道千歳郡滝川町から加わった。またそのひとりの四兄は、勤務していた吉祥寺(東京都武蔵野市)のデパートをすぐに辞めて加わった。未だ独身の二兄、三兄、そして四兄は、きょうだいそろって念願の、「八百弘商店」をスタートさせたのである。
 屋号に付く「弘」一字は「良」同様に、わがきょうだいの証しを示す符号である。ところが、三兄だけは双方の符号から外れて「豊」である。こんなことはどうでもいい。しかし、のちの私は、「八百弘商店」とこれを開いた三人の兄の優しさと兄弟の絆を頼りにして、高校を卒業すると内田村から巣立って上京した。そして、華の都・東京を皮切りに、後生大事に私の人生がスタートしたのである。
 長々と書いたけれど、書かずにはおれない。なぜなら、ここぞわが自分史の凝縮かつ根幹を成すところである。重ねて言えばすなわち、このときこそわが人生の基盤であり、きょうだいの絆をいっそう強めて、さらには第二のふるさと誕生の由縁である。