ひぐらしの記

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連載『自分史・私』、13日目

年の瀬、昭和35年12月30日、私は八百弘商店の店先で、顔馴染みの郵便配達員から一通の電報を受け取った。兄たちは車で配達に出かけるが、免許を持たない私だけはいつも、店頭で接客に明け暮れていた。だから、郵便物など外部からの届け物はほぼ、私が受...
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連載『自分史・私』、12日目

私は中央大学だけを2学部受けた。法学部は落ちたけれど、商学部は受かった。大学の中庭に掲示される合格者名簿は、二兄と並んで見遣った。この頃の私たちは、そののちの父には危篤状態は訪れず、病臥が続いていると聞いていた。受験を終えると兄たちは、「一...
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連載『自分史・私』、11日目

この文章は記録や資料などにはすがることなく、浮かぶ記憶のままに書き殴りで書いている。本音のところは早く書き終えて、楽になりたいだけである。言い訳がましいことを書いたけれど、自分自身、記憶がこんがらがっているから書き添えたものである。  八百...
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連載『自分史・私』、10日目

父と母の言葉の裏に私は、降ってわいた大学受験を温かく見守り、応援していることを感じた。それに報いるためにも私は、(何がなんでも合格するんだ!)、という決意を固めた。  父が最初の危篤に陥ったのは、昭和34年の1月末の頃だった。父は家族、嫁い...
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連載『自分史・私』、9日目

二兄は、「八百弘商店」開店の第一報を東京からふるさとへ送った。 「決して、親には心配を掛けません。これからは食べ物関係の商売なら、食いっぱくれることはないと考えて、三人で八百屋を始めました」  手紙が届いた日、涙をためてかたわらで不安そうに...
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連載『自分史・私』、8日目

家族はあっと驚いて、働き場所のあてどなくも二兄は突然、内田村のわが家から単身(19歳)で、はるかかなたの東京へ飛び立った。上京後の二兄は、二か所ほど働き場所を変えたと言う。そののちは、発足したばかりの「警察予備隊」(のち保安隊、現在自衛隊)...
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連載『自分史・私』、7日目

内田村は熊本の県北部にあり、福岡と大分とに県境を分ける熊本県側に存在する。三国山とか国見山とか名のついた連山には、峠道が入り組んでいる。遠峯と里山に囲まれた内田村は盆地を成して、細切れの段々畑と狭隘な田園風景を見せている。村人の暮らしは農産...
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連載『自分史・私』、6日目

これから書く文章は、私の文章を読んでくださる人にとっては、またかと思われるものである。しかしながら文章を書くかぎり私は、いろんなところで繰り返し書かなければならない。理由の一つは、わが生涯における最大の悔恨事ゆえに書けば、常に詫びなければな...
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連載『自分史・私』、5日目

父・前田吾市は、明治18年2月10日、熊本県鹿本郡内田村に生まれた。父は、父親・彦三郎と母親・ミエの三番目の子どもであり、姉二人の次に一人息子(長男)として生まれている。父が生まれたところは、村内では小伏野集落と言った。しかしそこから移り、...
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連載『自分史・私』、4日目

うれしくて、わが生涯において決して消えない記憶がある。多くのきょうだいたちは、わが風貌や日常の動作にたいし、まるで示し合わせでもしたかのように、「しずよしが、いちばんおとっつあんに似ているよ」と、言っていた。ところが、身内にかぎらず隣近所の...