ひぐらしの記 人生行路は、岐路多い茨道 人生行路には、数々の大小の岐路が訪れる。大袈裟すぎて言い換えれば、日暮らしにあってもしょっちゅう、なんらかの岐路が訪れる。岐路とは文字どおり、本道から逸れる分かれ道である。実際には本道を歩いていて、岐路(分かれ道)に差しかかる場合が多い。分... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 空威張りの神仏 1月12日(金曜日)、新年も早や、中旬へめぐっている。春待つ心も老齢の身には、翳りと澱みをおぼえている。わが2か月余の怠け心を、カレンダー上の新年の「仕事始め」にことよせて捨て去り、私は再始動を試みている。そして、ヨロヨロと1週間(7日)繋... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 愛おしい、わが命 1月11日(木曜日)、夜明け間近にあって、私は生きている。眠気眼であっても、目覚めたことは善いことだ。私は、机上カレンダーをしばし眺めている。新年いや正月(1月)のカレンダーには、古来の催事や祭事、すなわち歳時(記)の添え書きが並んでいる。... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 中国、木村様からの航空便・年賀状 大陸と言おうか、異国と言おうか、ずばり中国からはるばる飛行機で、わが手に届いた葉書を眺めている。文面は何度も読み返している。葉書であるゆえに短い文章である。しかしながら、異国で書かれた文章はありがたく、かつ興味津々である。限られた狭いスペー... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ああ、人間! 元日に起きた「能登半島地震」(石川県を中心に多大の被災)の惨状はあまりにも酷すぎて、日本国民の悲しみは極限状態にある。悲しみの癒えるめどは、未だにまったく無い。無情にも時は悲しみを置き去りにして、日々春へ向かって移りゆく。震災現場にはときに... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 成人の日 令和6年(2024年)の「成人の日」(1月8日・月曜日、祝祭日」が訪れている。成人の日を最終日とする三連休の終い日でもある。今さらではあるけれど、成人の日にちなんで、1年前の旧聞を紐解いている。令和5年(2023年)以降の成人式の開催につい... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 七草(粥) 懸念していた三日坊主を克服して、再始動のちの4日目の文章を、何とか書き出している。しかしながら、継続の要因をなす「惰性」がよみがえるかどうかは、未だ夢の中である。それでも、三日坊主を克服し現在の気分は安らかである。 新年(令和6年・2024... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 現在は最後尾、15両目 遡上して来た生来の怠け心を断つため、継続の当てはなくも意を決して、書き始めた文章は3日目を迎えている。きょう限りであすへ繋がらなければ、文字どおり三日坊主の汚名がよみがえる。もちろん、この汚れは撥ね退けたい。しかしながら、三日坊主と意志薄弱... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 夜明け前の「迷い言」 もはや、恥も外聞もない。短く、ガラクタでもいい。もちろん、雑文と罵られても構わない。ちょっとだけでも、文章を書こう。それでも、大きな前進である。こういう心境できのうの私は、文章を書いた。旧年の十月二十五日の文章を書き止めにして、新年の正月三... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 新春 明けましておめでとうございます。時は移り、新年(令和6年・2024年)も早や三が日が過ぎて、四日の朝を迎えています。机上カレンダーには、昔名残の官尊民卑を留めるがごとく、「官庁御用納め」と、記されています。この表現が変わらないかぎり日本の国... ひぐらしの記前田静良