懸念していた三日坊主を克服して、再始動のちの4日目の文章を、何とか書き出している。しかしながら、継続の要因をなす「惰性」がよみがえるかどうかは、未だ夢の中である。それでも、三日坊主を克服し現在の気分は安らかである。
新年(令和6年・2024年)も早や、一週間(7日目)になる。机上カレンダーに目を遣ると、きょう(1月7日・日曜日)は、「七草」と記されている。七草だけではわかりにくいところがある。だから、健康を願う人には、「七草粥」の表示こそ適当であろう。七草には春・秋がある。ところが、新年の初っ端で、かつお節料理の食べ過ぎを厭うせいもあってか古来、「春の七草(粥)」こそ人口に膾炙して、世の中にしきたりを馳せている。そしておのずから、春・秋の七草と呼ばれる雑草や草花そして根菜(生物・食べ物)もいくらか異なっている。
ちなみに、春の七草を成すものは、芹(セリ)、薺(ナズナ)、御形(ゴギョウ)、繁縷(ハコベ)、仏座(ホトケノザ)、菘(スズナ)、蘿蔔(スズシロ)である。一方、秋の七草を成すものは記憶が薄く、電子辞書を開いて記してみる。萩(ハギ)、薄(ススキ)、女郎花(オミナエシ)、尾花(オバナ)、葛(クズ)、藤袴(フジバカマ)、桔梗(キキョウ)である。何はともあれ、いにしえを偲び、健康な体を願う、おまじないさながらの歳時(記)の一つであろう。それでも今昔共に日本の国には、食感など抜きにして、「七草粥」を食べる風習がある。すると、きょうの「七草」に合わせてスーパーは、売らんかな! の商魂が気勢を上げる。一方客は釣られて、幼児のままごと遊びみたいな「セット物」を買って行く。体に良いとなれば、共に罪ない日本の国の習わしであろう。ただ、わが家の場合は、きょうはひねた「おせち料理」の残り物の食い納めになりそうである。
あすは「成人の日」(1月8日・月曜日、祝祭日)。三連休の中日にあって振り返るのは、元日からきのう(1月6日・土曜日)までのわが暮らしぶりである。1日:娘たちと妻の里の義姉夫婦の来訪にあって、7人寄り合っての食事会。2日と3日:「箱根駅伝」のテレビ観戦。4日:文章初め。5日:鶴岡八幡宮への単独行。6日:妻をともなっての卓球クラブの初打ち。そしてきょうの7日:三日坊主の克服なる。まあまあ、年齢相応の無難な滑り出しである。
しかし、好事魔多し。三連休が明ければその週には、予約済の通院日がふつかある。このことを鑑みれば妻は突如、「パパ。きょうは七草粥を食べる日なのよ。売り切れると困るわよ。早く「西友ストア」へ行って、セット物を買って来てよ!」と、言うかもしれない。困ったものだ。私は七草粥にかぎらずすべてのお粥御飯は、「ニュチャニュチャ」、病人食みたいで大嫌いである。どんなに味付けを凝らしても、わが舌触りの気味悪さは変わりない。挙句、「お粥御飯」を食べるぐらいなら、死んだほうが「おおまし」である。妻の言葉しだいでは、かなり気が揉めるきょうの「七草」である。
1月のカレンダーには来る日も来る日も、歳時の頭に「初」の字が付き、そして文字どおり脱兎のごとく逃げ去って行く。人生の晩年を生きる私には、つらい歳月の早回りである。夜明けは、日に日に早くなり始めている。三日坊主は、どうやら免れました。