1月11日(木曜日)、夜明け間近にあって、私は生きている。眠気眼であっても、目覚めたことは善いことだ。私は、机上カレンダーをしばし眺めている。新年いや正月(1月)のカレンダーには、古来の催事や祭事、すなわち歳時(記)の添え書きが並んでいる。それゆえに、カレンダーを見るだけで心中は、にぎにぎしく和んでくる。正月にかぎり、おのずからカレンダーのもたらす和みである。実際のところきょうには、似たものの二つの歳時(記)が相並んで記されている。どちらも、新年の門出を祝う古来の習わしである。一つは「蔵開き」、そして一つは「鏡開き」である。長く生きているからどちらも、知りすぎている歳時(記)ではあるけれど、眠気覚ましに電子辞書を開いた。
【蔵開き】:「新年に吉日を選び、その年初めて蔵を開くこと。多くは1月11日とし、福神に供えた鏡餅で雑煮を作ったりする。倉は、ものをしまっておく建物の意で広く使い、蔵は大事なものを保管しておく建物で、日本式の土蔵に言うことが多い」。
【鏡開き】:「開きは割の忌み詞。①正月11日ごろ鏡餅を下げて、雑煮・汁粉にして食べる行事。近世武家では正月に、男は具足餅を、女は鏡台に供えた餅を、正月20日(のち11日)に割って食べたのに始まる。具足餅:戦国時代以後、正月に甲冑に供えた餅。②祝い事に酒樽の蓋を開くこと。鏡割り、鏡抜き」。
凡庸な頭脳の私は、知りすぎている事柄であっても、たえず生涯学習の範疇にある。この文章にあっては、これまでのことはどうでもいい付け足しにすぎない。なぜなら、正直なところ祝い事の気分にはまったくなれない。
現下、日本の国の世相は、年明け早々(元日)からただならぬ難事に見舞われて、けたたましい喧騒の渦の中にある。究極には人の命が絶たれたり、脅かされたりしている。実際、元日以来一旬(きのうの10日まで)、余震を含めて来る日も来る日も国民は、地震に怯える日が続いている。なかでも、「能登半島地震」がもたらしている災難現場の惨さは目に余る。行方不明者にともなう累増する死亡者数、ライフラインを断たれて、生き延びの恐怖におののく被災、避難の人たち、被災地はすべてが修羅場にある。新潟県ではかつての「新潟地震」の恐怖を髣髴する、震度5の地震が再び起きた。幸いにも被害状況はないけれど、かつての恐怖はぶり返している。
これらの天災に比べれば被災はかぎられるが、元田中角栄総理の旧宅は、火災で丸焼けになった。なんらかの(線香?)火の不始末と伝えられている。天災および人災ふりかかる中にあって、日航機と海自機にかかわる羽田空港の混乱(絶命と逃げ降り)もあった。有名人の病没(中村メイコ、八代亜紀ほかあまた)のニュースも絶えない。さらに、事故・事件などふりかかる災難は尽きることがない。
【命あっての物種】:「何事も命があって初めてできるものだ。死んでは何もできないから、命を大切にしなければいけないということ」。
不謹慎だけれど、やけにこんな成句がわが身に沁みる。それゆえ現在の私は、不断の「ピンピンコロリ」の願望は抑えている。なぜなら、生きているだけでも無限の僥倖であり、利得でもありはたまた美徳である。だから、わがケチなわが命でも、粗末にできない。
夜が白み始めている。まもなく、朝御飯にありつける。歳時(記)知らずの妻は、雑煮には縁なく、たぶん買い置きの「即席味噌汁」を添えるはずだ。それでも、生かされているから私は、妻にたいし「文句」は言わない。