ひぐらしの記 「花より団子」 頃はよし、桜の花の満開の時季にある。しかし、私に花見や宴(うたげ)の気分は出なく、恨めしく時が流れていく。人生の終盤において、文字どおり人生の悲哀が訪れている。それに打ち勝つ気力を失して、きのうの私は、またもやずる休みに甘んじた。昼間にあっ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 わが財布の役割 三月二十三日(火曜日)、寒気のぶり返しに遭って、身を窄(すぼ)めている。いや、実際には太身(ふとみ)は一ミリも窄んでなく、気分だけが萎(な)えている。 体重コントロールは、わが長年の願望である。これまで、体重減らしのための努力は、何度も意を... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 きょう現在、生きてます 二月十九日(金曜日)、遅く目覚めて、そのぶん遅れて起き出して来た。そのため気が焦り、文章を書く気分はまったく殺がれている。こんなときは、あえて恥を晒すより休むにかぎる。これまで知り過ぎている、わが確かな経験則である。それでも、焦燥感に慄きな... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ワクチン様様、人間界賛歌 二月十八日(木曜日)、パソコン上のデジタル時刻は現在、2:43と刻まれている。今のところは、窓の外に望まない雪景色を見ずに済んでいる。しかしながら部屋の中は冷え冷えとして、わが現在の体感温度は、とうに過ぎた「大寒」(一月二十日)の頃を凌ぐ低... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 どうでもいいこと、書いた わが購読紙・朝日新聞は、記事の誤りの訂正にあっては虫眼鏡を片手にして探しても、気づかないほどに紙面の片隅にごく小さく記している。普段の強い筆法からすれば、きわめてお座なりの訂正の仕方である。へそ曲りの私は、謝罪の意思を感ずることはできない。... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 二月半ばの、夜明け前 世界中に恐怖にとどまらず夥(おびただ)しい数の感染者数と死者をもたらし続けてきた新型コロナウイルスは、このところようやく感染の勢いを緩めつつある。もちろん、この上ない朗報である。 日本の国にあっては、さしものの新型コロナウイルスも難敵・ワク... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「生きとし生きるもの」の天敵 人間はもとより、生きとし生けるものにとって、いのちを長らえることは、まさしく寸刻も気を緩められないサバイバル(生き残り)の闘いである。このたびは地震だけれどほかの天災や、さまざまな災害に見舞われるたびに私は、こんな思いにとりつかれている。た... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 再び「震度六強」の地震、宮城県、福島県 春はあけぼの……。そしてきょうは、チョコレートに愛や恋心を託す「バレンタインデー」(二月十四日・日曜日)。多くは片思いや義理チョコの切ない告白である。 こんな軽薄のことは書いておれない。なぜなら、わがお里の知れるところである。パソコンを起ち... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 人生行路、試練 二月十三日(土曜日)、過ぎ行く二月のほぼ半ばにある。この二月は、大学をはじめとしてさまざまなレベルの入試と、それに関わる合否の知らせのシーズン真っただ中にある。まさしく、人生行路の始発や門出として、若人が体験する厳しい試練である。確かに、当... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 悦楽の「晩御飯」 きのうの「結婚記念日」(二月十一日・木曜日)にあっては、早春の暖かい陽射しが地上に注いでいた。最寄りの「半増坊下バス停」へ巡りくるバスを待って、わが夫婦はしばらく佇んでいた。腰を傷めている妻は、痛さを堪えていたのであろうか、始終下向き加減に... ひぐらしの記前田静良