わが財布の役割

 三月二十三日(火曜日)、寒気のぶり返しに遭って、身を窄(すぼ)めている。いや、実際には太身(ふとみ)は一ミリも窄んでなく、気分だけが萎(な)えている。
 体重コントロールは、わが長年の願望である。これまで、体重減らしのための努力は、何度も意を固めて繰り返してきた。生来、私には意志薄弱の性癖(悪癖)がある。そのせいで、そのたびに願望は果たせないままに、とうとう余生短いところまで来てしまっている。かえすがえす、悔い残るわが意志の弱さである。
 もちろん、寒気のせいではない。私は起き立てにあって、こんな馬鹿げた思いをめぐらしている。切ない、自問自答である。「日に日に中身が減り続けるものはなあーに? 逆に増え続けるものはなあーに?……」。わがことで言えば、それは財布である。わが財布の中には、札と診察券(カード)が鬩(せめ)ぎ合って同居している。これらに商魂の証しと、それに釣られた多くのポイントカードが折り重なっている。こちらは、意図した双方の根性の浅ましさの証しである。
 通院のたびに重なるカード類から、私は該当する診察券(カード)を選び出すことになる。ところが、このときは戸惑うことばかりである。あるとき、戸惑う証拠としてこんなこともあった。私は受付係りの女性にたいし、診察券(カード)のつもりで、ポイントカードを差し出したことがあった。にこやかな顔で間違いを指摘されて、慌てふためいた。ようやく選び出して、「すみません。これですね」と、言わずもがなのことを言って、当該医院のカードを手渡した。恥ずかしさで赤面の至りはつのる、わが失態の一コマである。
 いずれ、キャッシュレスの世の中になり、財布自体が用無しになるかもしれない。押印が不要となり、ハンコ屋が音を上げた。このことに照らすとそうなれば、こんどは財布づくりの生業(職人)が音を上げるであろう。そうなってわが古びた財布の中に、診察券(カード)とポイントカードだけが重なり合うようにでもなれば、私は寂しい心地になるだろう。現在のところわが財布は、わが生きる砦(とりで)である。実際にも私は、財布にわが命を託している。
 きょうは、半年ごとに予約を繰り返す「大船田園眼科医院」(鎌倉市)への通院日である。予約時間はなんと、午前八時である。通院目的は、緑内障治療における経過観察である。こののちには「大船中央病院」における、これまたほぼ半年ごとにめぐりくる通院(三月二十九日)が予約されている。こちらへの通院は、胃と腸における内視鏡観察の要否診断のためである。
 頃は、財布の役割がずっしりと重たい桜の季節である。いや、私の場合は、桜見物などにはまったく用無しの財布のお出ましである。ほとほと、切ない。通院準備のため、この先は書き止めである。