きのうの「結婚記念日」(二月十一日・木曜日)にあっては、早春の暖かい陽射しが地上に注いでいた。最寄りの「半増坊下バス停」へ巡りくるバスを待って、わが夫婦はしばらく佇んでいた。腰を傷めている妻は、痛さを堪えていたのであろうか、始終下向き加減にしていた。もちろん、二人は顔面マスク姿である。そこには、長いベンチが据えられている。「私は座れば……」と言って、ベンチの板を手持ちのテイッシュで拭いた。しかし、妻はすぐには応えず躊躇していた。たぶん、立ち上がりの難渋を気に懸けていたのであろう。
私は道路を挟んだ家の植栽の梅の木を眺めた。そこには、一本の梅の木が紅い蕾をほころばせていた。見た目、蕾が陽ざしに照らされて、わが胸の透くのどかで、美しい光景だった。私はいっとき、早春の陽射しに堪能していた。
バスが巡ってきた。私は妻をわが前に誘い、ステップに押し上げるように手を添えた。ステップに上げると、倒れかからないよう妻の背中に手を添えた。私は妻の背後から抱えるように手を回し、「二人分です」と言って、コインの投入口に「二百円」を落とした。私は両耳に集音機を嵌めていた。「コトン」と、音がした。妻と私の定期券を運転士に翳(かざ)した。運転士は、愛想よく肯(うなず)いてくれた。それで十分。「お大事に……」という言葉までをねだるのは、客の驕(おご)りであり欲張りだ。
不要不急の外出行動の自粛の時節柄、車内は空いていた。降り口に一番近いところの二人席に並んで、私たちは腰を下ろした。妻の髪カットの予約時間は、午前十時四十五分と言う。バスが順調に運行したとしても、ぎりぎりになりそうである。私たちはそれぞれに半年間で五千円の定期券を購入している。それを乗車のおりに掲げれば、ワンコイン(百円)の投入で済む規定がある。
バスの終点、大船の街に着いて降りた。妻は腰を屈めて必死に速足を運んだ。
「間に合うかしら?」
「間に合うよ。急ぐな! 転げるよ」
妻の速足になさけなさと、同情が走る。
目当ての店が入るビルの前に辿り着いた。髪カットの店は、狭い階段を上って二階にある。
「終わったら、携帯に電話して……」
「するわ」
私は妻が階段を上がりきるのを見届けて、わが買い物行動を開始した。
わが単独の目当ての買い物店は、ドラッグストア「ダイコク」であった。この日のこの店におけるわが買い物用件は、便秘薬に加えて駄菓子だった。駄菓子にカリントと揚げ煎餅を買った。それぞれの駄菓子は、陽光ふりそそぐ店先に特売されていて、「ひとり二つまで」と、表示されていた。私はその表示に従い、つごう四つの袋を所定の籠に入れた。ソウシャルデイスタンスでレジ前に並んでいると、わが携帯電話に振動がした。手にした。
「パパ、終わったわ」
「そうか。すぐに行くから、横浜銀行の前に居て……」
レジを済まして出口を出たところで、なんと妻がウロウロしていた。
「西友ストィア、行く? 西友ストアは用無しだろう?……、鈴木水産だけで済むんじゃないの?……」
「西友ストアも行ってみましょうよ」
「そうか、いいよ」
「建国記念日」に加えて好天気とあって、街中には多くの人出が繰り出していた。もはや、二度目の緊急事態宣言は、色褪せ気味である。
西友ストアでは、普段の総菜を買い入れた。しかし、この日のお目当ては、鈴木水産である。結婚記念日のこの日にかぎり私たちは、ある誓いを果たそうと、いきり立っていた。それは、それぞれに大好物の魚介類を買う約束だった。妻の場合は、本マグロの切り身である。一方私は、天然タイの切身である。
妻のヨロヨロ足を急かすかのように、鈴木水産へ急いだ。込み合う、鈴木水産の店内に入った。妻は並んでいる本マグロの切身から、最高値の値札の物を手にして、「パパ、これ買ってもいい……」と、打診した。私は、「買えば」、と応じた。
妻は、手早く所定の籠に入れた。私は何と、鯨肉の赤身を手に取り、しばし思案した。「刺身用」と赤字、太く書かれていた。子どもの頃に食べつけていた、赤身鯨への懐かしい思いがめぐった。それには、父と母の面影が加わった。私はこれに決めて、所定の籠に入れた。こののち、タイの切身には見向きもしなかった。二人の共用としてはほかに、茹でイカ、茹でタコを籠に入れた。
まるで猿真似、晩御飯はいっときのセレブ生活みたいだった。もはや結婚記念日は、限りあるところまでのカウントダウンのさ中にある。このことでは、この先何度とは訪れない、悦楽の晩御飯だったのである。
きょうの文章は、殴り書き、走り書きの典型的な見本である。詫びて謝るしかない。