わが購読紙・朝日新聞は、記事の誤りの訂正にあっては虫眼鏡を片手にして探しても、気づかないほどに紙面の片隅にごく小さく記している。普段の強い筆法からすれば、きわめてお座なりの訂正の仕方である。へそ曲りの私は、謝罪の意思を感ずることはできない。テレビニュースなどにおける誤りの場合は、アナウンサーやキャスターが番組に最後になって、瞬間的にちょこっと訂正して、すぐさま番組自体がほかに変わる。これまた、謝りの意思などまったく感じられない、身勝手きわまりない訂正の仕方である。総じてメディアは、自分には甘く他者に厳しい、悪代官の見本さながらである。その一方では企業などが不祥事を起こした場合、重役連が横並びになり、深々と頭を垂れる光景を長々と映し出す。こんな映像は、視聴者にとってはなんらの価値もない。
さて、きのうの私はあとで気づいて、文章の中に誤りを書いていた。具体的には、新型コロナウイルのワクチン接種開始を週末あたりからと書いた。ところがこれはわが誤りであり、実際には週半ばのきょう(二月十七日・水曜日)からの開始という。もちろんわが文章自体は、あらためて謝るほどの影響はまったくない。しかし、誤りを頬かむりもできない。これまた、書き手としての身勝手な一行である。すなわち、恥じて、詫びるところである。
ネタ不足のため、どうでもいいことを書いて、文章を閉じるものである。これではいくらかあっけない。そのため、以下は身勝手な付則である。すなわち、謝りの仕方によってはかえって不評を買うと思える、心すべき四字熟語を電子辞書にすがり復習を試みる。
[慇懃無礼(いんぎんぶれい)]:言葉や態度が丁寧すぎて、かえって嫌味で不快感を与え、相手にたいして失礼なこと。また、表面上は礼儀正しく丁寧ではあるが、実は相手を見下していること。構成:「慇懃」は非常に丁寧なこと。「慇」「懃」ともに丁寧、ねんごろ。「無礼」は、礼儀知らず。失礼。
誤りの仕方にあっては、わが不徳、心すべき「四字熟語」である。私は常々、この四字熟語を肝に銘じている。曜日)の夜明け前にある。もちろん、地震の恐怖も真っ平御免である。