「花より団子」

 頃はよし、桜の花の満開の時季にある。しかし、私に花見や宴(うたげ)の気分は出なく、恨めしく時が流れていく。人生の終盤において、文字どおり人生の悲哀が訪れている。それに打ち勝つ気力を失して、きのうの私は、またもやずる休みに甘んじた。昼間にあっては、腰を傷めている妻の髪カットの介添え役を務めた。背中を海老型に折り、わが身にもたれかかる妻の姿を見つめていると、まなうらに涙がいっぱい溜まりかけていた。
 さて、目覚めると、きょうもまた休みたい気分が充満した。その気分を阻むためには、バカなことでもいいから書かなければならない。私は薄弱な心を咎(とが)めて、ちょっぴり気分を揮わした。すると、時節柄なのであろうか、幼稚園児であっても一度教えれば誰にでも分かる、たやすい成句が浮かんだ。浮かんだ成句は、「花より団子」である。もとより凡愚の私とて、幼いときから知り過ぎている日常語である。しかしながら休み癖を恐れて、枕元の電子辞書を開いた。
 【花より団子】:花見に行っても、桜より茶店の団子を喜ぶことからいう。「酒なくて何が己(おのれ)の桜かな」、無粋(ぶすい)と罵(ののし)られようとも、花見の興(きょう)は桜の花を愛(め)でる風雅よりも花に下で開く宴にあるのであろう。使い方:風流より実利、外観より実質を重んじるたとえ。「講演を聞きに行くより、うまいものでも食べたほうがいい。花より団子だよ」。「表彰状より金一封のほうがありがたい。花より団子というじゃないか」。誤用;「花見より団子は誤り。出典:江戸版「いろはがるた」の一つ。類表現:「花の下より鼻の下(風流よりは口に糊(のり)する毎日の生活のほうが大切であること)。「一中節より鰹節」。「詩を作るより田を作れ」。
 見出し語を替えて、【口に糊す】のおさらいを試みた。「糊口(ここう)を凌(しの)ぐ」の使い方を参照。
 【糊口を凌ぐ】:糊口は口に糊す(粥をすする)の意で、どうにか暮らしを立てていくことをいう。誤用;飢えを凌ぐ意で使うのは誤り。
 飛んだ無粋なことを書いては、継続の足しにしてしまった。自虐と自責の念に駆られている。桜の季節にあって、花への感興はもとより、団子にさえ嗜好が遠のいている。